☆ 正面からの憲法論争を ☆

井出薫

 安倍首相は改憲に意欲を燃やしている。9条に自衛隊を明記して、自衛隊の違憲合憲論争に決着をつけるという。それに対して、憲法改正に反対する野党は、共産党と社民党を除くと手続き論や世論の動向を指摘するだけで、真正面から護憲の論陣を張っていないから、著しく迫力に欠ける。これでは、野党は難癖をつけているだけだと感じる市民も少なくないだろう。なぜ護憲なのか、なぜ9条に自衛隊を追記することに反対なのか、その理由をはっきりと説明し、そのうえで安倍首相批判を展開しないと、いつまで経っても支持は得られず、やがて国民の多くが安倍首相とその支持者に説得され、改憲の支持に回ることも予想される。そうなってからでは遅い。

 憲法に自衛隊を明記しないことで、自衛隊を世界平和が実現した暁には(災害救助など非軍事的な機能を残して)解散する暫定的な組織と暗黙の裡に位置付けてきたと筆者は考えている。それにより、日本は戦後、一度も戦争に巻き込まれることはなく、自衛隊員が戦闘で命を失うこともなかった。確かに、それに対して、海外から、日米安保へのただ乗りという批判があることは承知している。そして、それに一理あることも認める。だが、それでも、日本があくまでも軍事的な行動で外交問題を解決することはしない、それゆえ戦力を保有しないし交戦権は否定するということを宣言する憲法9条は世界から多くの支持を集めてきた。それを転換しなくてはならない理由はない。中国の海洋進出や北朝鮮の核兵器開発を日本の安全保障上の重大なリスクとして自衛隊や日米安保の正当化が図られている。しかし、それは議論のための議論と言わなくてはならない。中国や北朝鮮を脅威ではないとは言わない。だが、東西対立で世界が二分されていた時期と比較すれば、日本の安全保障の環境は悪くなっていない。米ソ、両超大国の破滅的な核戦争という(リスクという言葉では表現しきれないほどの)危機に瀕した90年以前の東西冷戦時代と比較すれば、世界は平穏になり、それがグローバル市場経済の拡大をもたらした。日本はバブル崩壊以来、経済はぱっとしないが、それでもグローバル市場経済の拡大からさまざまな利益を得ている。ことさら中国や北朝鮮を引き合いに出して、改憲を正当化しようとしても、その論理は説得力に欠ける。むしろ、改憲により、日本は平和主義というソフトパワーを失い、軍拡競争に巻き込まれ社会が疲弊する恐れもある。

 また、共産党が述べているとおり、自衛隊員が戦場で命を落とすことがなかったのは憲法9条があったからだと言える。もし、9条がなかったら、あるいは安倍首相の改憲案のように自衛隊が明記されていたら、ベトナム戦争当時、自衛隊はベトナムで戦うことになっていた可能性が高い。いくら自衛が任務だといっても、ベトナムで共産党政権が誕生することは日本の安全保障上の重大な脅威であるという論理で、自衛隊員をベトナムに派遣することになっていただろう。そして戦死者がでて、ベトナム市民から大きな批難を浴びることになっていたに違いない。この点からも9条を改正することには賛同できない。

 他にも護憲の論拠は多数あるはずだ。そうした真正面からの議論を強く望みたい。共産党と社民党を除くと、野党各党は党内に9条の修正を容認する者を少なからず抱えている。それゆえ、真正面からの議論がしにくいのは分かる。だが、9条の改正は日本の将来に決定的な影響を及ぼす。党内に異論があろうとも、真正面から正々堂々の論陣を張り、安倍首相と対決してもらいたい。それが野党の信用を回復する最善の道でもある。  


(H31/5/5記)


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