☆ ゴーン事件 ☆

井出薫

 ゴーン事件で海外から検察の対応に批判が集まっている。確かに問題が多い。  まず、そもそも、ゴーンの逮捕に妥当性があるのか疑問がある。有価証券報告書の虚偽記載は、市場に大きな影響を与える恐れがあるとして、金融商品取引法違反の罪により最高で懲役10年という重い罰が課せられることがある。しかし、経営者の報酬が有価証券報告書で重要な役割を果たすとは言えない。誰が、経営者の報酬を参考にして、株式の取引を行うだろう。たとえ虚偽記載が疑われたとしても、まずは行政指導で是正を要請し、それに従わない場合は行政処分又は起訴という手続きが妥当だろう。しかも、ゴーンとケリーは、退任後の報酬額は確定したものではなく、適法に処理したと主張している。そして、その証言を覆す証拠が検察側にあるとは思えない。証拠があるならば、勾留期限の延長を求める必要はなかった。特別背任罪による逮捕も同様で勾留期間を延ばすための方便でしかないようにみえる。いずれにしろ、刑事罰は、容疑者に違法性の認識があり、かつ故意に実行したものではない限り、課すことはできない。これは人権の根本原則だが、今回は違法性の認識があったかどうかが不明確で、逮捕の妥当性は疑わしい。

 より大きな問題が、検察側の一連の手続きだ。ゴーンは実際、罰せられるべきことを行ったかもしれない。しかし、結果が有罪であるとしても、その結論に至るまでの過程が適法なものでないと認められない。今回の事件では、三度に亘り検察はゴーンを逮捕している。しかし、日産の幹部の協力を得て、相当長期に亘って捜査をしてきたのだから、背任の容疑は最初の逮捕の段階であったわけで、小出しにして逮捕を繰り返すのは適正な手続きとは言えない。殺人事件では、犯人が死体を遺棄したことの証拠はあるが、殺人に関しては確実な証拠がないという場合があり、そのときには、死体遺棄罪で逮捕、取り調べの結果、殺人罪で再逮捕という手順は容認できる。しかし、今回は、最初から分かっていたことを小出しにしているのだから、妥当性は低い。先に述べた通り、本人の自白がない限り、本件の立証は難しく、そのため勾留期間を延ばさざるを得ない状況にあり、またそういう状況が最初から想定されていたから、最初の逮捕では特別背任罪を持ち出さなかったとも推測される。しかも、裁判所から勾留期間延長の申請が却下された翌日、再逮捕したのであるから、これは公正な手続きとは言えない。検察や警察は人の一生を、そして時にはその生命を左右する強大な権限を有する。だからこそ、容疑者も含めてだれもが納得する公正な手続きにより捜査を進める必要がある。神ならざる身である人間は常に誤りを犯す。それを最小にするために、手続きの公正が欠かせない。それを欠くような検察、警察では独裁国と変わらない。

 報道や市民にも問題がある。逮捕されると、容疑者側の言い分も聞かずに、犯罪者だと決めつけ報道し、批難する。そして検察や警察もそれを利用して強引な捜査をする。本件に限らず、刑事事件では容疑者に広く社会に弁明する機会が与えられず、容疑者は密室の中で孤立し追い詰められ、それが冤罪事件に繋がることがある。米国では、逮捕されるとすぐに弁護士を呼ぶことができ、取り調べに弁護士が同席することで、不当な取り調べから身を守り、自らの弁明を第3者に伝えることができる。日本は現状そういう制度がないのだから、逮捕や取り調べは慎重すぎるくらい慎重であるべきで、また、報道も市民も、警察や検察が逮捕しても、すぐに犯罪者扱いするべきではなく、誤認逮捕あるいは不当な逮捕である可能性を考慮して慎重に報道し、評価する必要がある。今回の事件でもそのことに変わりはない。疑いがあるだけでは犯罪者にはならない。

 ゴーンを特段擁護するつもりはない。おそらく有罪とされても致し方ないことをやっていた可能性が高いと思う。しかし、今のところ報道されている事実からは、ゴーンは有能だが普通に欲張りな経営者であるということしかわからない。だが欲張りな経営者はどこにでもいるし、むしろ欲張りではない経営者を見つけることが難しい。欲張りだからこそ、企業を発展させることができるとも言える。だから、欲張りであることをもって、犯罪者であるとすることはできない。また、民間企業である以上、経営トップの報酬がいくらであろうと、そのこと自体で罪に問うことはできない。

 今回の事件の教訓は、日本の検察や司法の制度には欠陥があり、その強大な権力を適切に制御する機能が日本社会に備わっていないことが明らかになったことだろう。それは単に法律や当局側の問題だけではなく、人々の思想の問題でもある。検察や警察を聖域として扱う報道や市民が公正な捜査を損なう遠因になっている。多くの検察官や警察官が市民の平穏な生活を守り、正義がなされるように努めていることは認める。しかし、監視の目が届かなければ、思い込みや私利で暴走することもあれば、政治的な思惑による不公正な捜査、逮捕、起訴が行われることにもなる。本件に限らず、適切とは言い難い逮捕、起訴、逆に不起訴が数多く見られるのではないだろうか。私たち一人一人が自分の問題として考える必要がある。まずは、自分が容疑者になったら、検察の行動を公正なものと認めることができるか、考えてみるとよいだろう。  


(H30/12/22記)


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