☆ 社会主義は甦るか ☆

井出薫

 91年、ソ連が崩壊したとき、資本主義か共産主義かという論争には終止符が打たれたと多くの者が感じた。はるか遠い未来においては、共産主義が実現するかもしれないが、見通せる範囲では資本主義しかない。それが多くの者の結論だった。

 確かに、今のところ資本主義が崩壊する徴候はない。だが、いったんは見捨てられた共産主義、あるいは(共産主義とは一線を画する)社会主義の復活の兆しはある。米国大統領選の民主党候補者選びで、社会主義を標榜するサンダース上院議員が若者の支持を得て善戦したこと、フランスのデモで平等を重視する毛沢東の似顔絵を描いた旗が見受けられたこと、これらのことは、筆者にはその徴だと感じられる。そして、現在の世界をみるとき、それは決して一時的な現象ではないと思われる。

 マルクスは、資本論の第3部「資本主義的生産様式の総過程」−それは未完の著で、エンゲルスが手を入れた箇所が多数存在するのだが−で、資本主義では、利潤率が長期的に低下すると指摘し、それを資本主義崩壊の原因の一つとした。マルクスの主張は、多くの疑わしい仮説(労働価値説、剰余価値率一定など)に基づいており、正しいかどうかは疑わしい。しかし、多くの先進国で金利が長期的に低水準に留まっており、政府のテコ入れにも拘らず回復の兆しがないことはマルクスの予言が部分的には的中していることを示している。日本では超低金利と呼ばれる時期が長く続いており、出口はみえない。また、マルクスは、資本家は利潤を大きくするために、労賃を抑えようとする、その結果、市場には貧しい者が溢れ、生産した製品が思うように売れない状況が生じると指摘している。安倍政権の経済政策で企業の業績は目覚ましく改善したが、労働者の賃金の上昇は低水準に留まっており、増税や社会保険料の負担増で消費支出はたいして伸びていない。人手不足が喧伝されながら、非正規雇用は減らず、技能実習生という名目で外国人労働者が、しばしば、安い賃金、劣悪な環境で働かされている。そこには、企業が労賃を抑制して利益を確保するという構図、同時にその結果、思うように景気が上向かないという構図がはっきり見受けられる。その結果、景気の力強い回復が実現せず、財政赤字は増大し、格差も拡大している。

 これを安倍政権の経済政策の失敗として、野党や一部報道は批判するが、批判者も有効な代替案があるわけではない。むしろ、色々な経済政策を実行したが効果が乏しく、最終手段として異次元の金融緩和を実行したという面が強い。実際、企業業績の回復や株価の上昇、雇用の改善などで一定の成果はあった。そして他にそれよりよい経済政策があるとは思えない。財政再建を重視して、社会保障費や福祉にかかる支出を抑制したり増税をしたりすれば、景気は後退し、税収が減り、さらなる増税が必要になるという悪循環が起きる。だからと言って、景気回復ばかりに目をやり、異次元の金融緩和、巨額の財政支出、減税を無制限に実施すれば、いずれ資産バブルが起きてバブル崩壊の憂き目をみるか、円の通貨価値が暴落し高水準のインフレで経済は大混乱になる。

 結局、このような現実は資本主義に限界があることを示しているように思われる。社会主義を標榜するサンダース上院議員は、高等教育の無償化、大企業や金持ちへの増税、多数の雇用を創生するインフラ投資の拡大を主張しているが、彼は資本主義の基本的な枠組みを変更することなく、社会主義的な政策を実行しようとしているから、おそらくうまくいかない。彼の政策は、資本の流出、それによる税収減を招き、不況と財政悪化に苦しむことになろう。このことは、大企業への課税強化を主張する日本共産党の政策にも当て嵌まる。

 このことは、社会主義的な政策ではなく、共産主義や社会主義そのものを実現する必要があることを示唆する。共産主義や社会主義は、個人の自由を抑圧する独裁的な社会体制として評判が悪い。また、計画経済で非効率な経済運営が罷り通っていたとも批判される。確かに、過去の共産主義政党の多くはそのとおりだった。政治や文化の領域で、人々の自由と諸権利は極めて重要で、共産主義や社会主義が、必然的に、支配政党や党首を批判することなど政治的な発言の自由を認めなかったり、多様な文化を市民が享受することを阻害したりすることになるのであれば、それは私たちが選択すべき体制ではない。また、計画経済はしばしば自由の権利を侵害し、市民の創意工夫の意欲を削ぎ、経済を低迷させることは事実で、単純な計画経済は是認されない。

 しかし、共産主義や社会主義では、本当に、市民の自由と権利は保証されず、非効率な経済運営を余儀なくされるのだろうか。市民の自由と権利を十全に保証し、なおかつ、市場の適切かつ健全な利用を通じて効率的で合理的な経済運営を実現すること、つまり、現在の先進資本主義国で実現されている良い制度や思想、行動様式などを共産主義や社会主義が継承し、それをより発展させたものとすることは不可能なのだろうか。おそらく不可能だと言う者が多いだろう。しかし、それは私たちがあまりにも20世紀の体験に縛られすぎているからだと思われる。スターリン主義、スターリン以降も続いた独裁的なソ連・東欧の共産主義、改革開放政策以前の中国、巨額の財政赤字と怠惰な労働者を生むことに繋がったとされる欧州各国の社会主義的政策などの体験から、私たちは、共産主義や社会主義は駄目で、資本主義、自由主義的市場経済が唯一無二の選択肢だと決めつけている。だが、それに明確な根拠があるわけではない。むしろ、若者を中心とした物の所有に拘らない者たちの増加、環境問題への関心の広がり、格差の拡大への厳しい批判などは、資本主義・自由主義市場経済からの転換が今起きようとしていることの証のように思われる。それがどのような体制を生み出すのか、それは分からない。また、それが容易ではないこと、必ずしも良い社会を生むとは限らないことも承知している。だが、資本主義には限界があること、いずれは大きな変化が起きることは間違いないと思われる。  


(H30/12/10記)


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