☆ 裁量 ☆

井出薫

 法律を具体的な事例に適用するに当たり、状況を分析、判断したうえで、法律を解釈して、命令を下したり、政令や省令を制定したり、判決を下したりすることを裁量と呼ぶ。ある事犯で被疑者を起訴するかどうかは検察官の裁量による。具体的な判決は裁判官の裁量に任される。法律で省令の作成が委任されているときには、委任事項を管轄する省庁の行政官が、法律が許容する範囲内で自らの裁量で省令を制定する。世の中の出来事は千差万別、予め起り得るあらゆる状況を法律で考慮することはできない。それゆえ、法律は抽象的な規範を定めるだけで、具体的な問題に対する回答がそこに書かれている訳ではない。そのため、行政や司法は法律に従うことが求められると同時に裁量を有する。

 憲法(第41条)に国会は国権の最高機関と明記されている。しかし、内閣総理大臣が国内では最大の権力者として扱われ、両院の議長は総理大臣よりも格下だと思われている。そして事実、それは間違いではない。国会に提出される法案の80%が内閣提出法案であり、また、内閣総理大臣には、国務大臣の任用・罷免権、(異論もあるが)衆院の解散権限もある。それゆえ、内閣総理大臣の裁量は極めて大きく、裁量権の行使がもたらす社会的影響は計り知れない。つまり、形式的には国会がトップでも、実質的なトップとなると行政権限を握る内閣総理大臣ということになる。これは、企業で経営の最高機関である取締役会の順位では会長、副会長が社長の上位に来るが、実質的には社長が企業の最高権力者であり、顔であることに似ている。

 こうして裁量の存在により、行政の長である内閣総理大臣は巨大な権力を有することになる。ナチスのヒトラーが独裁政権を樹立できたのも、彼が行政の長になることができたからだ。

 行政の長に巨大な権力が与えられていることは、国家の機動的な対応や外交のためにやむを得ない。内閣総理大臣に大きな権限がなければ、国会での論戦に明け暮れ国家ができることは著しく制限されてしまう。

 だが、世界的に行政の力が突出し「国家=行政国家」とまで言われる現代、果たして、内閣総理大臣の巨大権力をこのまま放置してよいのかという問題が私たちの目の前に突き付けられている。おそらく、行政の長の権限を制限する必要があることを人々が悟る日が近いうちに到来するだろう。憲法解釈の変更や衆院解散を好き勝手にできたとしたら、民主制は崩壊し、民主制の皮をかぶった独裁となりかねない。


(H30/7/1記)


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