☆ 公文書 ☆

井出薫

 大阪地検は、決裁文書の書き換えについて、公文書偽造の罪に問うことはできないと判断し、佐川元国税庁長官を不起訴とすることにした。これに対して、大幅な書き換えが行われ、しかも背景に政治的な意図が隠されている疑いがあるにも拘らず、不起訴になったことに納得がいかない者も少なくない。

 大阪地検の判断は、書き換え前の文書も、書き換え後の文書も内容的に変わるところはないという考えに基づく。籠池氏が「総理夫人から、よい話なので前に進めてもらいたいと言われた」などと発言したこと、総理と財務相がメンバーとなっている日本会議に籠池氏が所属していたこと(現在は退会しているとされる)などが、原本には交渉経緯等として記されている。しかし、それは単なる参考情報に過ぎず、そこに書かれている事実が決裁の内容やプロセスに影響を与えた証拠はない。従って、それらの情報を削除したことは、不要な部分を省いただけで内容を変えたことにはならず、道義的にはともかく、法的には違法とまでは言えない。これが大阪地検の考えだと思われる。

 「疑わしきは罰せず」が刑事裁判の原則だから、大阪地検の結論は致し方ない。不起訴の決定に不服の市民たちが検察審査会に申し立てを行うとのことだが、不起訴相当(大阪地検の判断を支持)になる可能性が強いと思われる。不要な箇所を削除しただけで決裁内容に相違はないと主張されると、それを覆す明確な根拠がないからだ。しかも総理夫人の発言とされるものは、近畿財務局が裏を取ったわけではなく、真実なのか、交渉を有利にするための籠池氏の方便に過ぎないのかが定かでない。総理の話では後者となる。だとすると、削除した文章をそのまま残しておくと、総理夫人の名誉を不当に傷つける恐れがある。だから削除したという理屈(屁理窟)も成り立つ。

 いずれにしろ、こういう事件では関係者を処罰することは難しい。しかし、そのことは書き換えが許されるということを意味しない。一旦は決裁された公文書は、原本のままで残し、その記載に不都合な点や誤り(それが公開されると、そこに記載されている者の名誉を不当に傷つける、あるいは、無実の者が犯罪者にされかねない、など)がある時には、補足を加えることで不要な誤解を生まないようにするべきだ。たとえば、総理夫人の発言とされるものは籠池氏の話に過ぎず、それが真実であるかどうかは不明であること、夫人はそれを否定していることなどを補足として注釈を入れることで、夫人の名誉と権利を守ることができる。

 おそらく今回のような公文書の書き換えなどは過去にも行われたことがあるだろう。戦前、戦時中などは、端から嘘の文書が作られ、作成されるべき文書が作成されず、あるいは作成された文書が廃棄される、などということがしばしばあったに違いない。従軍慰安婦の強制連行など証拠となる文書はどこにもないと一部保守派は主張するが、そのことを以て強制連行はなかったとは言えない。古今東西を問わず国家が誠実である証拠はどこにもない。

 だが、これからの時代、情報はきちんと管理し、それを後世に残していく必要がある。それが社会を改善することに役立つからだ。森友の件で言えば、確かに、政治家やその関係者の積極的な関与などなく、単に抜け目ない事業家の虚実ないまぜの交渉テクニックに近畿財務局など官僚機構が翻弄されたというだけのことだったかもしれない。だが、たとえそうだったとしても、その事実を記録し残しておくことは意義がある。その情報を共有することで同じ轍を踏まないように注意することができる。また、政治の圧力が本当はあったとすれば、後世の人々が最初の決裁文書を証拠の一つとして、それを証明することができる。

 財務相が言う通り、決裁文書の書き換えのようなことは民間企業でもある。だが民間と行政機関では、社会へのインパクトが全然違う。ときに行政機関の活動はその影響が全市民に及ぶ。それゆえ、資料は確実に原本のままに保管し、必要に応じてそれに(日時を明記したうえで)追記をしていくべきなのだ。そのことを政治家や官僚にはよく理解してもらいたい。この先も、不純な動機で書き換えが繰り返されるようならば、新たな処罰規定を設ける必要が生じる。だが安易に処罰規定を追加することは望ましくない。まずは政治家や官僚の自覚を促したい。


(H30/6/3記)


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