☆ 裁量労働制 ☆

井出薫

 裁量労働制の対象分野の拡大は見送られた。だが政府は諦めた訳ではない。また、高度プロフェッショナル制度創設は予定通り今国会に提出される。

 生産性が向上し、インターネットと携帯電話の普及で在宅勤務が容易になった現代、時間と場所に制約されない働き方をしたいという要望は労働者の側にも少なくない。だから安倍首相が口にする時間給からの脱却という主張には一理ある。だが、現時点では裁量労働制には多くの欠点があり賛成できない。

 マルクスは、その著『資本論』の第一部第6編「労賃」で出来高賃金について論じている。裁量労働と出来高賃金は同じではないが、時間に制約されないという点で共通している。また労働時間ではなく、ミッションが規定されているという点でも共通性がある。マルクスは出来高賃金は時間賃金の転化形態に過ぎず、労働搾取という本質には変わりはないと指摘する。マルクスの資本論は、労働価値説に基づくものであり、理論的な妥当性に疑問がある。また、マルクスの時代と現代では、労働環境も資本の様態も大きく異なる。それゆえ、マルクスの主張を直ちに裁量労働制の議論に適用することはできない。だが、それでもマルクスの指摘には重要な点がある。それは、資本主義では、賃金制度は資本の論理で決まるという点を指摘していることだ。

 裁量労働制の拡大という施策は、(先に述べたとおり労働者への配慮という面がない訳ではないが)本質的に、残業代を減らし、労働生産性を上げ、市場競争力を改善し利益を拡大するという企業側(=資本の側)の論理に基づく。だから、本人の同意が必要であるなど一定の歯止めがあるとは言え、裁量労働制が労働者側の利益に繋がる可能性は低い。企業業績の改善は賃金の上昇など労働環境の改善に繋がるとは言え、売上が同じであれば人件費と利益は反比例する関係にある。それゆえ、資本主義社会では、資本と労働の間の対立関係は完全には解消されない。この条件が変わらない限り、労働制度の改革には必ず労働者にとって負の面があるということを覚悟しておく必要がある。

 今やるべきことは、裁量労働制の拡大ではなく、法定労働時間の短縮(たとえば週労働時間35時間への引き下げなど)と形骸化している感のある36協定の合理的運用、労働者を酷使する企業への処罰の強化だ。これにより労働者にしわ寄せが及ぶことなく、企業側の努力(経営の合理化、最新技術の積極的導入、無駄な管理業務の削減など)で生産性を向上させることができる。

 ただし、裁量労働制そのものには、労働者の選択肢の拡大というプラスの面がある。モバイルインターネットの普及で、多くの職種で、どこでも、いつでも社内ネットにアクセスして職場で勤務するのと同等の業務を遂行することができるようになっている。(資本主義社会では難しいのだが)労働者が主体となり裁量労働制を上手く活用できれば、労働環境を大きく改善することが可能になる。それゆえ、自民党の批判者や野党には、裁量労働制の拡大に反対するだけではなく、労働者にとって望ましい裁量労働制の在り方を検討し、それを広く世間に知らしめ議論を促すことが望まれる。


(H30/3/4記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.