☆ 社会的価値と商品価値 ☆

井出薫

 社会的価値と商品価値が必ずしも合致しないことは、現代の市場経済の重大な欠点の一つだと言えよう。

 綺麗な水や景観は高い社会的価値を持つ。しかしそれに相応しい値がつくことはない。介護士や保育士は大きな社会的な貢献をしている。しかも需要も大きい。ところがその割には賃金が安く、必要な人材の確保が容易ではない。一方で、大した社会的価値がない商品に高い値段が付くことがある。社会的貢献をしているとは思えない者が多額の収入を得ていることも少なくない。たとえば証券取引や配当で莫大な収入を得ている者がいるが、社会に貢献しているとは思えない。投機は金融システムの安定に寄与するという議論がなされることがあるが、妥当性は疑問で、たとえそれが正しいとしても、本人が直接社会に貢献している訳ではない。

 このようなことは、経済学では外部経済、外部不経済と呼ばれ、市場の失敗の一事例だとされる。そして、その対策として、課税、補助金、規制などが提案される。また利益が上がらないが社会的に不可欠な役務は公営事業として営まれる。だが、問題は、なぜそのような市場の失敗が起きるかを明らかにすることだろう。

 経済学の教科書を読むと、市場の失敗の存在とその対策を学ぶことができるが、市場の失敗が起きる理由ははっきりとしない。独占市場では資源配分に歪みが生じると書いてある。だが、なぜ独占企業は利潤の最大化を目指し、社会的効用の最大化を目指さないのか、その理由ははっきりしない。経済学では、モラルハザード(たとえば自動車保険に加入することで注意が散漫になり事故を起こしやすくなること)や逆選択(たとえば生命保険加入時に病歴を誤魔化すこと)の存在が指摘される。モラルハザードや逆選択が起きることは容易に想像がつく。しかし、その理由はやはりはっきりしない。

 現代の経済学は、人間は、ほとんど全ての者が、自分の利益や直感を最優先させるということを暗黙の前提としている。確かに、その前提は正しいと思えることが多い。だが、もし本当にそうだとしたら、私たちは、社会的価値と商品価値の乖離に気が付くことはないのではないだろうか。私たちは、自分が、しばしば無益なものに高い金を払い、有益なものに金を出し渋っていることに薄々気付いている。そのことに疚しさや自らの愚かさを感じ取っている。だから、現実の社会的価値と商品価値との差異に気付き、経済学者はそのことを意識して、理論を構築する。

 そのことは、私たちが思考と行動のパターンを変えれば、社会的価値と商品価値を一致させることができることを示唆する。もちろんそれが容易ではないことは言うまでもない。私が行動パターンを変えても他の者が変えなければ、社会的な効果は生じず、私もすぐに元に戻り私利を追及することになるだろう。だから、現実的には社会的価値と商品価値の乖離を解消することは難しい。だが、私たちが気付いているということには希望がある。個々人の意識改革だけで二つの価値を一致させることは不可能だが、制度的な改革と併せて、両者を一致させることは可能だと思われる。意識改革と制度改革を並行して実行し、社会的に有意義な仕事をしている人が報われ、そういう仕事に就く者が増える時代がくることを期待したい。


(H29/12/10記)


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