☆ 希望無き日本の政党 ☆

井出薫

 今くらい、日本の政党が劣化したことはなかった。

 勝つことだけがすべての大義なき解散を断行した自民党と公明党。解散権の濫用としか言いようがない。そもそも総理の解散権なるものの根拠はあいまいで慣例として容認されているに過ぎない。過去にも抜き打ち解散はあった。中曽根政権の死んだふり解散がその典型的な例としてよく挙げられる。しかし、あのときは国鉄の分割民営化という大きな宿題があった。中曽根は選挙での勝利を背景に国鉄の分割民営化を断行した。分割民営化の是非は今でも意見が分かれる。しかし、総じて鉄道会社のサービスが改善されたことは事実で一定の成果があったことは認められる。要するに中曽根の死んだふり解散にはそれなりの大義があった。だが今回の選挙に大義はない。消費税の増税分の使い道を変えるからその信を問うなどと言っているが、それは予算編成の問題にすぎず、過去そのような名目で信を問うたことはないし、問う必要もない。国民年金制度を廃止し新制度を制定するというような大改革ならば信を問うに値するが、今回の内容は抽象的なものにとどまっており、しかも財政赤字解消が当初のもくろみ通り進まないことを、教育の充実などという口実で有耶無耶にしようという意図が透けて見える。北朝鮮の脅威はまさに印象操作の典型で、本当に差し迫った脅威ならば選挙などしている場合ではない。脅威に対抗するために強力な政権が必要ならば、安定多数を有する現状を可能な限り引き延ばすべきで、負ける可能性がある選挙などやるべきではない。しかも北朝鮮への制裁はすべての政党が支持しているのだから、信を問うも何もない。こちらも解散を正当化するための方便にすぎない。

 だが、それでも、野党の混迷ぶりを見ると、自民党と公明党は、今の日本の政界では一番まともな政党だと言わざるを得ない。希望の党は、(本当にあるのかどうか大いに疑問だが)小池人気にあやかり、選挙で当選したい者の集まりにすぎない。安保法制は容認、憲法9条は改正の方向で検討、その政策は自民党それもタカ派と言われる者たちと少しも変わらない。原発廃止や消費税増税凍結も人気取りに過ぎず、日本のエネルギー政策や環境、社会保障や福祉、教育などの現状と、あるべき姿を熟慮したうえでの主張ではない。ただ戦術的に、そう言っているにすぎない。万に一つの可能性もないと思うが、希望の党が政権をとっても、原発廃止も消費税増税凍結もすぐに反故にされる。要は、希望の党は、自民党内の派閥争いが党レベルの争いに姿を変えたに過ぎない。

 その希望の党に、前原代表の民進は合流しようとする。まさに選挙がすべてで、信念も何もない。さすがに、枝野、菅、長妻などが離反し立憲民主党を設立したが、顔ぶれに新味がなく、また政策も組織も曖昧で多くの支持を集めることはできない。たとえ支持を集めたところで、すぐに破綻していくだろう。そもそも小池に拒絶されたからやむを得ず新党を作ったわけで理念と信念に欠ける。自由党や社民党には力はなく、議席を維持できるかどうかのレベルでしかない。共産党は確かに首尾一貫している。だが、その組織と行動は硬直的で、広く一般市民の支持を得られる体制になっていない。日本共産党はかつてのソ連や中国の共産党を批判するが、組織形態はソ連や中国と同じ民主集中制を取っており、幹部の権限が絶大で党員の自由な活動は制限されている。共産党は、それは党内の規律の問題で、その組織形態を社会に押し付けることはしないと宣言しているが、一枚岩的な組織が外部に対して柔軟な対応を取れるとは信じがたく、反自民という意味で、または、個々の政策では支持することができても、政権を任せるには不安が大きい。それゆえ支持率6、7%程度が限界で、自公の対抗勢力にはなりえない。

 こうしてみていくと、いまの日本には希望を持てる政党はないとしか言いようがない。そうなると、無党派層は棄権するか実績のある自民党に投票する。自民批判層は棄権する者が多くなる。選挙の結果は今から予想がつく。自民党と公明党の連立政権には実績があり、安定感もあり、それほど悪くないことは認める。だが自公政権の受け皿となる政党が存在しない状況はリスクが大きい。自民党が暴走したとき歯止めがなく、また長期政権の下で既得権益が広がり社会の改善も滞る。自公政権が野党や批判的な市民の声によく耳を傾け慎重に政策を実行する成熟した党になるか、名ばかりの希望ではなく本当に希望を持てる健全な野党が育つことを祈りたい。


(H29/10/8記)


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