☆ 偏見はないか ☆

井出薫

 8月31日、群馬県で、上半身裸で車の中にいた男が職務質問をした警察官の前から逃走したというニュースが大きく報じられた。男は翌日身柄を確保され公務執行妨害容疑で逮捕された。事件そのものはありふれたものだが、その報道に違和感を覚えた。

 早い段階から、どの放送局も新聞社もニュースの見出しに「ベトナム人」という言葉を付けて報道した。だが、ことさら容疑者がベトナム人であることを強調する必要があったのだろうか。事件のあらましを伝え、最後に、「逃走中の男はベトナム国籍の者とみられる」くらいの注釈を加えるだけで十分ではないか。いや、国籍など伝えず、身長、体型、推定される年齢、東南アジア系の外国人の可能性があることを伝えれば十分だった。市民の安全を守り、協力を得るためには国籍も伝えるべきだと考えたのかもしれない。しかし、平均的な日本人には、男がベトナム人かどうかは分からない。たとえ分かったとしても、日本には多数のベトナム人が暮らしており容疑者の手掛かりにはならない。

 考えすぎだと言われるかもしれないが、一連の報道からは、日本人の外国人(特に欧米人以外の外国人)に対する偏見が感じられる。記者、警察、報道に接する一般市民、日本人すべてに、ベトナム人は日本人とは異質な存在という差別意識があるのではないだろうか。そもそも、逃走中の男がいるだから報道する必要があったことは認めるが、ここまで大々的に報じる必要があったかどうかは疑問と言わなくてはならない。男は銃刀類を所持しておらず危険性は低い。実際、逮捕までの間に事件は起こしていない。もし男が日本人だったのであれば、ここまで大きく報じられなかったと思われる。

 米国で白人至上主義者とそれに抗議する者たちの間で衝突が起き死者まで出る惨事となった。そのとき、日本では報道も一般市民も白人至上主義者の行動を非難した。しかし、明確な「主義(イズム)」ではないにしても、私たち日本人にも日本人至上主義が潜んでいるのではないだろうか。白人至上主義を海の向こうの出来事と考えず、自分たちにも同じ傾向がないか反省した方がよい。もし自分がベトナム人だったとしたら、一連の報道に差別を感じていたに違いない。

 いずれにしろ、逃走中の男がベトナム人であることを殊更強調する必要はなかった。報道関係者には差別を助長することが無いよう、また日本で暮らす圧倒的多数の善良なベトナム人に不快感を与えないために、慎重な報道を求めたい。


(H29/9/3記)


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