☆ 経済学は何を語るべきか ☆

井出薫

 さすがに強気の黒田日銀総裁も近頃はインフレ目標2%の達成が難しいことを認めるようになってきた。

 日銀による年間50兆円(のちに80兆円)の国債購入と2%のインフレターゲット、通称アベノミクスの中核をなす大胆な金融緩和策は国内のみならず海外からも大いに注目された。ノーベル経済学賞受賞者で日本でも著名な経済学者クルーグマンは、日本は世界の希望になるとアベノミクスに大きな期待を寄せ、その大胆な金融緩和策を支持した。

 アベノミクスの下、円安が進み、輸出産業を中心に企業業績は回復した。雇用情勢は改善され今では人手不足が深刻になっている。また株価も大きく上昇した。色々と批判はあるが、アベノミクスが一定の成果を上げたことは認めるべきだろう。

 ところが、2年で2%のインフレ目標は達成できていない。それどころか毎年のように2%の目標達成時期が先送りされ、今では達成のめどがつかないというのが嘘偽りのない現実となっている。たとえ2%のインフレ目標が達成できずとも、はっきりと景気が回復し成長路線が確立したのであれば、2%の目標が達成されずとも大した問題ではない。しかし、先に述べたような成果があるとは言え、家計の状況はさほど改善されておらず景気が回復したとは言えない。また少子高齢化の急速な進行もあり、先行きも明るいとは言えない。だからこそ日銀は2%という数字に固執している。

 どうしてそうなったのか、予測と現実の差は何から生じたのか。黒田総裁は、企業が賃金を上げない、市民が消費しないと愚痴をこぼしている。しかし、それを改善するための大胆な金融緩和策だったはずで、「いまさら何を」としか言いようがない。消費税増税したのが失敗の原因だとする意見も根強いが、増税の景気への影響は限定的という見解もあり、増税の影響もはっきりしない。要するに、今、世間に流布しているのは、揣摩臆測の類でしかない。

 こういうときにこそ、しっかりとした理論的モデルと正確な観察に基づく合理的な説明が必要になる。今こそ、経済学者が登壇し、迷える者たちに科学的な説明を示し、日銀の委員や政府の幹部に適切な助言を与えるべき時なのだ。

 ところが、明確な科学的説明を与えてくれる経済学者が国内外とも現れない。先に挙げたクルーグマンや、やはりノーベル経済学賞受賞者で日本でもお馴染みのスティグリッツの見解なども揣摩臆測の類を超えていない。大学院生向けのマクロ経済学の教科書に目を通すと、目が眩まんばかりの高度な数学的モデルが駆使されており、これを使えば、GDPや物価、雇用率の変動が、少なくとも統計学的には予測できても不思議はないと思われるが、そうはいかないらしい。経済現象は複雑で、理論的モデルと現実に乖離が生じるのは止むを得ない、などと澄ました顔をしている経済学者がいるが、信用できない。乖離が生じるのは止むを得ないとしても、乖離の原因と乖離の大よその傾向を説明できないと科学的な説明とは言えない。物理学では、摩擦などの影響で理論的なモデルと実験データに乖離が生じることがある。しかし物理学者は理論と実験データとの間に乖離があれば、その原因を探究しモデルを修正したり、根本的に見直ししたりして正確なモデルを構築し、乖離が生じた原因を説明する。それができなければ、「私の理論的モデルは正しくなかった」と正直に認める。理論と現実の差を「対象が複雑だから」で済ませる物理学者はいない。そのような者がいたら、彼(女)は物理学者とは認めてもらえない。物理学ではないが、データを再現できなかったSTAP細胞の自称発見者は今では(素人を別にして)誰も相手にしない。また経済現象が複雑であることは認めるにしても、複雑な現象は自然界にもたくさんある。脳神経系の構造とその情報処理の機構、細胞の分化のプロセス、生態系の変化などは、経済現象よりも更に複雑で、数学的モデルの有効性も限られる。だが研究者たちは理論と現実の乖離を「複雑だから」で済ませたりはしない。現実との比較対照を何よりも重視し、より合理的で現実的なモデルを求めて研究を進める。だが現代の経済学者がそのような努力をしているようには見えない。もし、しているのであれば、その努力と成果を紹介しないメディアの問題となるが、そうとは思えない。

 かつてケインズは世界恐慌を克服するために新しい経済学の理論を構築し、各国政府や関係者にその理論に基づく政策を提言した。思想的、政治的な立場は大きく異なるが、アダム・スミスやカール・マルクスも同じだった。確かに、彼らの理論は万能ではなく多くの誤りを含んでいた。今では時代遅れになった箇所も多い。だが、彼らが真摯に現実と対峙し、深い洞察に基づく現実の合理的な説明を示し、現実的な成果を生み出したことは間違いない。彼らは理論的モデルの数学的整合性だけで満足するような者ではなかった。また揣摩臆測で喚く者でもなかった。

 科学技術の進歩や、政治や法の改良だけでは、人々は幸福にはなれない。哲学や信仰だけで幸福になれる者は、いたとしても、ごく僅かに過ぎない。経済が全てではないが、経済状況が改善され安定することで、人々の幸福への道が大きく広がる。だからこそ、経済学は極めて重要であり、人々は経済学者に期待する。経済学と経済学者はその期待に応えるべく、現実と真摯に対峙し、深い洞察に基づく理論の構築とそれに基づく現実の合理的な説明及び現実的な提言が求められている。

(補足)自然科学とは異なる経済学固有の難しさがあることは認める。経済は、政治、法、文化、自然災害など狭義の経済学の範疇を超えた様々な事象の影響を受ける。物理学や生物学の複雑さが、基本的に、その学の領域に留まるのとは対照的だと言ってよい。あるいは、経済学は開放系の学問と言ってもよいかもしれない。しかし、正にそういう多層的な現象を解明するのが本当の意味での経済学だったはずだ。スミス、マルクス、ケインズ、シュムペーターなどは正にそういう経済学を構想した。そして、それは今でもできる。


(H29/7/23記)


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