☆ 憲法9条 ☆

井出薫

 安倍首相が、憲法記念日の3日、2020年に新憲法を施行したいと表明した。現行憲法9条の1項と2項はそのままにして、自衛隊の存在と役割を追記するという。

 70年前に施行されて以来、9条の解釈は時代とともに変わってきた。当初は、文字通り、如何なる戦力も交戦権も認めないものと解釈された。吉田茂首相(当時)も国会答弁でそれを認めている。しかし、50年代初頭、米国を中心とする西側(自由主義)陣営とソ連を中心とする東側(共産主義)陣営の対立が深まると状況は一変する。米国は日米安保の締結と自衛隊の創設を自民党政権に迫る。それを受けて、自民党政権は。9条1項は自衛権を否定するものではなく、自衛隊は合憲だと主張するようになる。自民党政権と、違憲と主張する者たちとの間で法廷闘争が起きるが、最高裁が統治行為論で憲法判断を回避したことで終わる。その後、論争は司法の場から国会と言論界へと移り、自民党政権とそれを支持する者たちは自衛隊の合憲性を主張し、社会党や共産党、その支持者たちなど革新派は違憲を主張し、平行線をたどった。しかし、94年、村山社会党委員長(当時)を首班とする自社さ連合政権が誕生するとともに、社会党は方針を転換し自衛隊が合憲であることを認める。その結果、憲法学者や左翼的な市民を中心に自衛隊の違憲を主張する者は依然として存在したが、少数派となる。そして、その延長線上で、安倍政権において、集団的自衛権が限定的ながら容認されることになる。集団的自衛権を容認する安保法制の議論では、安倍政権に多くの批判が集まり一時的に政権の支持率も下がったが、暫くすると支持率は持ち直し今に至っている。こうして、今では、自衛隊の存在そのものは合憲というのが日本社会のコンセンサスとなっている。

 しかし、9条を素直に読む限り、自衛隊を合憲と解釈することは難しい。9条2項で戦力の不保持、交戦権の否定が明記されているからだ。それに対して、自民党政権を始めとする自衛隊合憲論者は、第9条1項が自衛権を否定するものではないことを根拠として、自衛隊は自衛に必要な最小限度の実力しか保持しておらず2項が否定する戦力には該当しないとする説や、2項は侵略戦争に用いる戦力を否定しているだけで自衛のための戦力を否定するものではないという説を援用して、合憲であることを主張する。(注)しかし、防衛費の予算規模が5兆円近く、装備も相当に充実している現状を考えれば、自衛隊を戦力ではないとするのは、幾ら法律で活動範囲を制限しているとは言え、無理がある。また、自衛のための戦力は否定されていないとする説も同意しがたい。もし、そうであるならば、戦争放棄を主張する1項だけで十分で、2項を追加する必要はないからだ。2項が追加されているのは、自衛という名目による戦争を回避するために、戦力と交戦権を否定したと解釈する方が自然だ。
(注)第9条1項は自衛権を否定するものではないことは、自衛隊違憲論者を含めて広く認められている。民主制においては、憲法は国民を守るためのものであり、自衛権を否定する憲法は論理的にもありえない。ただし、そのことは自衛のための戦力を保有することを無条件で認めることを意味しない。自衛は非暴力不服従などという戦力を使用しない方法でも実行可能だからだ。また、自民党政権は諸外国の脅威を強調し自衛隊や日米安保の意義を宣伝するが、果たした自衛上の危機がほんとうに迫っているかどうかは疑わしい。もし、ほんとうにそうならば、のんきに五輪や万博を遣っている場合ではあるまい。

 要するに、社会的なコンセンサスは別にして、憲法と自衛隊の存在との間には矛盾がある。矛盾があっても国民が支持しているから良いという考えもあるが、最高法規である憲法が遵守されていない状況は容認すべきではない。それゆえ、原則論的に言えば、自衛隊を解散するか9条を変えるかする必要がある。

 それを考えると、国民の多数が自衛隊の解散を望んでいないのだから、安倍首相の主張には一定の合理性がある。では、安倍首相の主張するとおり、第9条に自衛隊の存在と役割を追記するべきだということになるのだろうか。話しはそう簡単ではない。日本国民は自衛隊の存在は容認している。しかし無制限の活動を容認している訳ではない。だからこそ、憲法にその存在を明記し、役割を憲法で制限するべきだと主張する者もいる。しかし、憲法で自衛隊の活動を明確に制限すると、それを超えた活動が必要となった時に憲法を改正しなくてはならなくなる。現行では解釈改憲で法律により自衛隊の活動範囲を広げることができる。つまり衆参両院で過半数の同意を得られれば活動範囲の拡大ができる。しかし憲法で制約を加えると簡単にはいかない。ここでも解釈改憲で乗り切るということが考えられるが、そうなると憲法に制約条件を追記する意味がなくなる。それゆえ、安倍首相の案は護憲派だけではなく、改憲派からも反対が出るだろう。そうなると、役割を制限せずにその存在だけを認めるという案が出てくる。しかし、それでは自衛隊の活動が無制限になる恐れが生じる。現状では、自衛隊の合憲性そのものに疑義があるために、それが歯止めになっているが、憲法で明確にその存在が認知されると歯止めが難しくなる。特に(いますでにそうだが)タカ派的な者たちが国会で多数を占めた時に問題が大きい。

 では、どうしたらよいのか。憲法と自衛隊の存在の間には矛盾がある。しかし、改憲派と護憲派にも矛盾がある。改憲派は自衛隊が合憲であり集団的自衛権も認められるとする。だとすると少なくとも9条の改正は必要ないという論理が出てくる。確かにこの指摘は正しい。自衛隊は合憲、集団的自衛権も合憲、だとすると、憲法を変えて何をするのか。戦前の軍国主義の復活に道を開こうとしているのではないか、当然のことながら、こういう批判が出てくる。安倍首相は現行憲法では自衛隊を違憲だと主張する者が出てくるということを改憲の根拠にしているようだが、この主張は合理性を欠く。表現の自由、思想信条の自由など人権が堅持されている社会では、どのような事案でも異論があることが正常な状態であり、憲法改正で批判を封印するということは人権に反する。このような批判に改憲派は上手く答えることができない。従って、(戦前の軍国主義を復活させようとする者は論外として)民主、人権、平和の理念を基本的に容認する改憲派には矛盾がある。実際、護憲派は時々、そういう議論を使って改憲派を批判する。だが、護憲派にも矛盾がある。この改憲派への批判は、暗に、自衛隊の合憲性を自ら認めていることを告白している。もし、そうでないならば、改憲派を批判するに際して、揚げ足取り的な議論をするのではなく、真正面から、憲法を守るために自衛隊の解散(と日米安保の解消)を主張するべきだからだ。先に述べたとおり、憲法と自衛隊には矛盾がある。だから真の護憲派ならば、憲法と自衛隊の二者択一で憲法を取らないと筋が通らない。つまり、自衛隊が国民に支持されているという現実に配慮し、自衛隊の違憲性を主張しない現実的な護憲派には矛盾がある。

 こうして、現実と憲法の間に矛盾があり、改憲派も、護憲派にも矛盾があるということになる。改憲派が「これまでの9条解釈は間違いだったことを認め撤回する。9条は自衛隊を容認しない。だからこそ、9条に自衛隊の存在と役割を明記して、その存在を合憲にする必要がある」と言えば矛盾は解消される。一方、護憲派は先に述べたとおり、憲法か自衛隊かの二者択一で憲法を取り自衛隊を解散すると言えば矛盾は解消される。だが、改憲派の中心が自衛隊合憲論を主張してきた自民党政権であること、自衛隊解散の主張は現状では国民の支持を得られないことから、改憲派も護憲派も理詰めの選択ができない。自民党政権は自分たちが今まで遣ってきたことを否定することになるし、野党は自衛隊を否定することで国民の支持を失うことになるからだ。

 この袋小路を解消するにはどうしたらよいだろうか。難しい問題だ。自衛隊と憲法の間にある矛盾に無頓着だった日本国民を批判する声もある。しかし、憲法9条と、自衛隊(並びに日米安保)が、共に、戦後の日本の平和に貢献してきたのは事実だ。憲法9条がなければ、積極的に戦争に参加する日本軍が設立されベトナム戦争やイラク戦争に参戦していた可能性がい。そうなっていれば、日本人兵士が戦地で命を落とし、日本人兵士が海外で人を殺すことにもなっていただろう。9条という歯止めの意義は決して軽視してはならない。一方、自衛隊と日米安保が外国に対して一定の抑止効果を持っていたことも否定できない。話しあいだけでは解決できない外交問題が多数存在しているのが現実だからだ。つまり、矛盾する二つの存在が、ともに日本の平和を守ってきた。だから、どちらか一方を選ぶことができない。9条の改正には違和感がある。9条改正が戦争へと繋がる不安がある。しかし自衛隊の解散や日米安保の解消という議論には賛同できない。これが国民の本音だろう。そして、現実主義的な観点に立つ限り、このような意識を持つ日本国民を批難することはできない。

 要するに、9条をどうするべきかという問いには誰も答えが見つけ出せていない。筆者は、暫定的に9条と自衛隊並びに日米安保との間の矛盾を容認するが、将来的には日米安保を解消し、自衛隊は災害時などの人命救助に徹する組織に改組し、第9条は堅持すべきだと考えている。しかし、このような見解には、「お花畑論」というお馴染みの批判がある。筆者は、それは決して非現実な空想ではなく、世界中をお花畑にすることが現実的に可能だと考えているが、多くの人々が納得する議論を展開する自信はない。ただ、確実に言えることは、十分な議論が必要だということだ。このように至るところに矛盾がある状況で、短兵急に結論を出すと間違った道に進む危険性がい。安倍首相は2020年と明言したが、時期に拘るべきではない。在職中に改憲をするのが首相の念願かもしれないが、一個人の思いだけで決めることが許されるような軽い問題ではない。首相だけではなく、改憲派も、護憲派も、自らの主張には多くの矛盾や問題点があり、多くの人々を納得させられるものではないことを認め、徹底的に自らの思想を再吟味する必要がある。そして、そのためには時間が必要であることを自覚してもらいたい。


(H29/5/6記)


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