井出薫
民間がお金を作ることはできない。作ったら贋金づくりで重い罰が与えられる。しかし、国は違う。自らお金を作り出すことができる。紙幣発行権限は政府ではなく日銀にあるが、政府と日銀は一体で活動しており、事実上、政府は必要に応じお金(通貨)を作り出すことができる。 財政法で、政府が日銀から直接お金を借りたり、国債を引き受けさせたりすることは禁じられている。だが国会の承認を得れば、その範囲内で、日銀からお金を借りたり、国債を引き受けさせたりすることができる。アベノミクスで日銀が、市中銀行が持つ国債を大量に買い取っているが、これも間接的だが、政府がお金を作って市場に流していると言うこともできる。 だから、政府は、その気になれば、事実上、赤字国債など発行せずに、日銀から金を借りて、福祉や社会保障、教育や研究開発など必要なお金をどんどん作り出すことができる。実際、ヘリコプターマネー政策を推奨する者は政府にお金を作ってばら撒けと言っているに等しい。ヘリコプターから紙幣をばら撒くように、市場に大量のお金を流せというのが彼(女)らの主張だ。それにより経済は活性化し、しかも福祉や社会保障、教育や研究開発などを充実させることができる。なぜ、それをしないのか。なぜ、一々、財源があるかないかなどを議論しなくてはならないのか。 政府がお金を作り出すことには様々な問題がある。まず、無制限にお金を作り出しそれを市場に供給すれば、お金がだぶつき、お金の価値は暴落しハイパーインフレになる。為替レートは暴落し、輸出企業が一時的に競争力を復活させることができたとしても、資源や食糧の輸入が困難になり国民生活は破綻し企業は倒産する。さらにモラルの問題がある。明治時代、紙幣の発行権限は政府にあり、戦費調達に政府は紙幣を大量に印刷してばら撒いた。それが、間接的にだが、好戦的な国家体制を生み出したとも言える。福祉や社会保障、教育や平和目的の研究開発にお金を使うのであればよいが、国防費に大量のお金が費やされるようになれば、平和が脅かされる。 このように、経済的にも、道徳的にも、政府がお金を作り出すことは弊害が大きい。だから、財政健全化、財源の問題が議論の的となる。しかし、日本や欧米など先進諸国は、財政の健全性に拘り過ぎなのではないだろうか。モラルの問題は利用目的を国民生活の向上に資するもの、平和目的のものに限定することで解決できる。ハイパーインフレも、通貨供給量を慎重に調整することで回避できる。これにはICTや人工知能が大いに貢献すると期待できる。 日本では、急激な少子高齢化とそれに対する行政の対策の遅れで、福祉や社会保障の財源が枯渇している。どう考えても財源は簡単には見つからない。安易な増税は景気に悪影響を及ぼす。だとすれば、政府がお金を作り出すしかない。財政健全化の重要性は理解するが、今は寧ろ、財源の議論より、社会保障、福祉、教育、研究開発などのお金を工面することの方が重要だ。禁じ手だと恐れてばかりおらず、日銀による市中銀行保有の国債買取りという間接的な手法ではなく、政府が積極的にお金を作り出し市場に流すことを真剣に検討すべき時だと思われる。 了
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