井出薫
現代世界では、多くの者が、為替レートの変動で一喜一憂する。それも当然で、グローバル市場で、為替レートの変動は企業経営に、時に致命的な痛手を与える。思い起こせば前世紀の85年まで、円ドルレートは1ドル200円台だったが、同年のプラザ合意による協調介入により1年足らずで円のレートは1ドル100円台前半まで上昇する。価値の上がった円マネーで、日本人はバブルに踊り世界の資産を買い漁ったが、その後、多くの者が巨額の損を出す羽目に陥る。一方で、円高で日本の輸出産業は競争力を失い、その影響は今も続いている。東芝の苦境もその延長線上にあると言えなくもない。斯様に為替レートの変動は巨大な影響を世界経済に及ぼす。特に、日本のような貿易立国の場合は影響が大きい。 外国為替は、昔は(定期的に見直しがなされていたが)固定レート(固定相場制)だった。子どものころ、「(車の)ハンドルが欲しいのですが、幾らですか?」、「180円だ」という下手な洒落が良く使われた。当時は1ドル360円(半ドルは180円)だったからだ。だが今はこういう洒落は通じない。しかし、為替の変動相場制は本当に良い制度なのだろうか。 経済学によると、固定相場制、国境を超えた金融の自由、中央銀行による金融政策の有効性、この3つを同時に成立させることはできないとされている。 固定相場と金融の自由が並立しているとき、景気が悪い国と良い国があったとする。資産家は、資産運用のために、景気の悪い国の通貨を良い国の通貨に交換し、良い国で運用する。変動相場ならば、やがて景気が良い国の為替レートが上昇し、景気が悪い国から良い国への資金の流れは止まる。しかも、為替レートが低下した国では、輸出企業は国際市場競争で有利になり、景気回復の足掛かりになる。だが、固定相場では、景気が良い国への資本の流れが止まらず、競争上の優位性も生まれない。その結果、景気が良い国はさらに良くなり、悪い国は益々悪くなる。中央銀行が、景気浮揚のために金融緩和をしても、資金は外国に流出するから効果がない。だから、金融の自由、さらには中央銀行による金融政策の有効性確保のためには、変動相場制が合理的な選択となる。金融の自由の規制を主張する者もいるが、途上国の発展や世界経済の生産性向上のためには(一定の規制は必要だが)金融の自由は欠かせない。 このように変動相場制には合理性があり、いまさら固定相場制に戻すことは難しいし、賢明な策とも言えない。だが、その代りに、企業や、将来に備えて資産運用する個人は常に大きなリスクを背負わされることになる。しかも損害は均一には生じず、国の違いや、企業の規模、個人の場合は資産の差などで、不均一に生じる。得をする者と損をする者が同時に出てくる。それゆえ、公平性という観点からも、このリスクを容認する訳にはいかない。 リスクを減らすためには金融の規制が必要となるが、どのように規制すればよいか決めることが難しい。しかし手をこまねく訳にはいかない。国際会議の場などを通じて、各国政府と中央銀行が協力して対策を考案して実施する必要がある。 了
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