井出薫
経済成長戦略の一環であり、労働者の権利を守るためではないとは言え、安倍政権が進める「働き方改革」は歓迎される。 38年間、サラリーマン生活をしているが、労働時間の半分は無駄な時間だと感じている。筆者だけではなく、同僚や他の企業や官公庁に勤める学友や知人も同じ感想を抱いている。だとすれば、働き方改革により、労働時間を減らし、なおかつ、生産を拡大し賃金を増やすことができる。労働時間が減り余暇が増えれば、消費も拡大する。そうすれば少子高齢化でも経済は成長し、福祉や社会保障を充実させることが可能となる。問題はそれをどうやって実現するかだ。 労働時間が不必要に長くなる理由は、経営側と働く側の両方にある。経営側、そのエージェントである管理者は、やたらと部下に報告や資料作成を求める。「報・連・相」(報告、連絡、相談)は組織に属する者の基本だが、度が過ぎる。任せればよいものを、一々、口出し、文書にさせる。報告がないと、すぐに怒る。その割には肝心なことはチェックが漏れる。それにコンセンサス主義が輪を掛ける。結論が出ないままに繰り返される大人数の会議、会議のための膨大な資料作り。パワーポイントの資料作りと会議出席と議事録作成以外何もしていないのに、残業が60時間を超える者がいる。無駄の典型と言えよう。 働く側にも問題がある。非管理者の場合、残業代が初めから収入見込みに含まれているため、無意識のうちに無駄な残業、残業のための残業をすることが多い。さらに、管理者、非管理者を問わず、遅くまで会社に残っている方が評価されるという思い込みがある。そのため定刻で退社することに抵抗が強い。周囲が遅くまで仕事をしていると尚更その念が強くなる。自分だけ取り残されてしまうのではないかという強迫観念で、さっさと定刻で退社できない。 要するに、製造現場、工事現場、顧客相手のサービスをしている者や研究開発をしている者を除けば、意識改革で労働時間を減らすことができる。ところが、この意識改革が難しい。意識改革して労働時間が減れば、今のご時世、要員削減をされる危険性がある。組織自体が整理統合される可能性もある。だから、各部門の長は意識改革に後ろ向きになる。経営層も、部長・課長クラスは昔からの仲間が多く、肩書を失わせるのは忍びないとして、積極的な改革に動かない。特に利益を上げている企業は改革のインセンティブが小さいから尚更そうなる。日本式経営の欠点が意識改革の邪魔をする。 それゆえ、経営層が積極的に意識改革を促す必要がある。だから、国は経済界に働きかけを強めている。しかし、国からの働きかけだけでは不十分だ。労働者の側から、経営層に改革を促す必要がある。働き方改革は、それが適切に実施されれば、労働者にとってメリットが大きい。しかし、下手な改革は、労働者の労働環境を悪化させる。労働組合など労働者の代表は、自ら働き方改革でリーダーシップを取る必要がある。 了
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