☆ 報道の役割 ☆

井出薫

 新聞やテレビの報道には首を傾げたくなることが多い。

 「インフレ目標2%の年内達成は難しい」こういう表現をよく目に(耳に)する。しかしインフレは嬉しいだろうか。嬉しくない。物価が上がって喜ぶ者はいない。それなのに、新聞もテレビも物価が上がることが善いことであるかのように報じる。

 理屈は分かる。インフレになれば、貯金するより消費した方が得だと消費者は考える。企業は利益を得る機会到来と考え、銀行から金を借りてでも生産を増やそうとする。インフレ期待を生み出し、企業の生産活動を後押しするために日銀は大規模な金融緩和をする。金融緩和で大量の通貨が市中銀行に注入されれば、金利は下がり、企業は資金を借りやすくなる。こうして企業業績は改善され、賃金は上がる。賃金が上がれば消費はさらに拡大し、インフレが継続、企業の生産もさらに増大する。こうして好景気が生まれる。「めでたし、めでたし」という訳で、インフレは悪くない。だが、本当にそんな具合に上手くいくのだろうか。物価が2%上がり、賃金が5%上がれば賃金労働者は嬉しい。消費も増える。だがインフレ率に賃金の上昇率が追いつかなければ労働者の生活は悪化する。インフレが必然的に好景気を生み出すという保証はない。かつてインフレと不況が共存する時期もあった。それを経済学用語ではスタグフレーションと呼ぶ。安倍政権の経済政策に起因してスタグフレーションになる恐れはないのだろうか。

 「原油安が世界経済に悪影響を及ぼしている」という報道も気になる。原油安になれば石油メジャーや産油国は辛いだろうが、石油を売って利益を上げている者は世界の中のごく一部に過ぎない。石油が安くなれば生活が楽になる者の方がずっと多い。日本の消費者も原油価格が下落して随分と助かった。それなのに、報道は原油安が経済の足を引っ張っているなどと言っている。原油安が諸悪の根源であるかのようだ。

 こちらも理屈は分かる。石油メジャーの経営悪化や産油国の景気後退は、メジャーの株価を下落させ、産油国からの資本流出を引き起こす。それは世界経済を大きく混乱させることになりかねない。だから原油安は必ずしもよいことではない。しかし原油が高くなれば、産油国以外の国の経済が苦しくなる。そして、そうなった方が苦しむ者は多い。

 確かに近頃、日本の景気はぱっとしない。1年前には(よほどのことが無い限り)来年4月の消費税増税は必ず実施すると強気だった首相のトーンも下がってきた。また原油価格が下落すると株価が下がることも事実だ。これらの事実は、インフレ目標2%が未達であること、原油安が景気に悪影響を及ぼしていることを推測させる。(但し、そうだと判断することはできない。原因はもっと別のところにある可能性もある。)

 問題は新聞やテレビが、これらの事実を読者、視聴者に分かりやすく、きちんと説明していないことだ。政府や日銀の発表を垂れ流して、「2%に到達しない」とか、「原油安が株価を押し下げている」などと言っているだけで、読者、視聴者にはそれらニュースの意味が理解できない。池上彰などが分かりやすい解説を試みているが、さすがの池上も近頃は出番が多すぎ、不正確な解説が増えている。実際、周囲を見渡しても、2%目標の意義や原油安の影響のメカニズムを十分に理解している者はほとんどいない。それどころか、インフレ目標や原油安のことを知らない者も少なくない。

 先に述べたとおり、物価が上がることを喜ぶ者はいない。報道が、物価が上がることの経済的メリットを市民に分かりやすく伝えない限り、少子高齢化が急速に進む今の日本で、インフレ期待で物を買うなどということが起こるはずがない。そして、報道はそれをほとんど遣っていない。かと言って、安倍政権の経済政策の批判をする訳でもない。解説記事や専門家の評論などを読めば詳しいことが書いてある。だが分かりやすいとは言えず、説得力があるとは言えない記事も少なくない。もっと日々のニュースや短い記事の中で簡潔な説明をして、読者、視聴者の知的好奇心を喚起する必要がある。

 インターネットの普及で、既存の新聞、テレビの報道はその使命を終えたと言う者が増えている。インターネットの情報は偏ったもの、不正確なものが多く信憑性は低い。大地震があったときにはまずNHKで事実確認をしてからインターネットの情報をみる。インターネットの情報が引金になってテレビを点けてNHKを見ることはある。しかしインターネットで大地震の情報があってもNHKで報道されるまでは信用しない。このように既存の新聞、テレビの存在意義はまだまだ大きい。だが、政府や日銀の発表をただそのまま流すだけに終始していたら、いずれ、既存の報道機関はその存在意義を失うことになる。


(H28/4/30記)


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