☆ 解散、報道、国民 ☆

井出薫

 衆参同時選挙が取り沙汰されている。だが今の時期での衆議院解散には正当性がなく、解散権の乱用と言わなくてはならない。

 そもそも首相の解散権など、憲法にも法律にもどこにも書かれていない。「内閣の助言と承認の下で行なわれる天皇の国事行為に衆議院の解散が含まれている」(憲法第7条)、「内閣総理大臣は任意に国務大臣を罷免できる」(憲法第68条第2項)という憲法の条文から首相の解散権が推定されているに過ぎない。それゆえ首相の解散権は極めて慎重かつ限定的に使用されなくてはならない。「今、選挙を遣れば自民党に有利」などという理由で解散することは許されない。憲法第67条に規定されている衆議院で内閣不信任決議案が可決されたとき又は信任決議案が否決されたときの他は、与野党の対立が激化したり与党が分裂したりして国会が正常に機能しなくなったとき、国民生活に重大なる影響がありかつ国論を二分する重大な事案(たとえば憲法改正)が審議されるとき、などがそれに該当する。それゆえ昨年安保法制を巡り、多数のデモ隊が国会を取り囲み、国会審議が空転したときに解散が行われたのであれば正当性があった。また自民党又は安倍内閣が今国会で憲法改正案を提出するというのであれば、それを争点にして解散総選挙をすることは認められる。だが、自公連立政権は安定多数を確保し与党内での深刻な対立もない。憲法改正案の国会提出も予定されていない。消費税増税の延期又は凍結は(その是非は別にして)国民の多くが望んでいることであり、また与野党を通じて反対する者は少ない。首相とすれば野党や安倍政権に批判的な報道・言論から「アベノミクスは失敗した」と言われるのが癪のタネだろうが、野党も報道も延期又は凍結自体には反対していない。それゆえ、現時点では、衆院の解散は必要なく、それを正当化する理由もない。最近では口にすることが減ったが、「法の支配」は首相の信条のはずだから、それに反するような解散をするべきではない。党利党略による解散は「法の支配」の反対概念である「人の支配」に相当する。

 一方、報道も情けない。解散には正当性がないにも拘わらず、そのことを論じず、専ら「増税延期、衆参同時選挙の流れが強まる」とか、「野党側も同時選挙に備え準備を急いでいる」などスポーツ中継のようなことばかり報道している。衆議院解散には党利党略しかなく正当性がないことを何故しっかりと伝えようとしないのか。

 二つの理由が考えられる。周囲から圧力がありそれに抵抗する勇気がない、何が伝えるべきことなのかを記者が理解できていない、この二つだ。総務大臣から「放送法第4条に反する放送局は電波の停止を命じることがある」と言われたくらいでビビッているのではないだろうか。無免許の電波発射などを除いて、電波の停止命令など簡単には出せない。万一、停止命令が発動されても、命令された放送局は直ちに行政事件訴訟法に基づき取消訴訟を起こし、取り消しを求めると当時に総務大臣の命令の違憲性(表現の自由の侵害)を争うことができる。放送各局が協力して、天変地異など人命に関わること以外は全放送を停止し政府に抗議の姿勢を示すこともできる。多くの国民は、そして判事は放送局を支持するだろう。報道は総務大臣の発言くらいでビクビクする必要はない。寧ろ愚かな発言であることを指摘してやればよい。だが、今の報道にはその気概がないとしか映らない。

 さらに気掛かりなのは記者が何を伝えるべきかを理解していないのではないかということだ。「首相には解散権がある」というのは通説で、事実、過去に何度もそれが行使された。しかしそれは前述のとおり無制約のものではない。そのことを理解していれば、現時点での衆議院解散には正当な理由がないことが分かるはずだ。ところが「解散は首相の専権事項」などというレトリックに惑わされ、首相はいつでも衆議院を解散してよいと多くの記者たちが信じているのではないだろうか。もしそうならば、自民党のタカ派議員やその同調者ではなく、一般市民が新聞やテレビの購読や視聴を拒否し改善を求める必要がある。

 いずれにしろ、政治家も、報道も情けない状態にある。だが、おそらく、その根本的な原因は政治に無関心あるいは感情的な反応しかできない国民にある。自分が信じたいと思うことしか信じない者が少なくない。自分の意に反する見解には、「反日サヨク」、「戦争法案」のようなレッテルを貼り、耳を貸そうとしない者もいる。膨大な情報がネットで飛び交う現代、何が適切な情報かを判別することは誰にとっても難しい。だが情報量が膨大でも、政治や経済に関する情報や意見は大体において幾つかのパターンに分類できる。だから寛容の精神の下、開かれた心でそれに接すれば、概ね公平な見方をすることができる。公平な見方は往々にして陳腐で人々の歓心を得ることができない。だが、たとえ陳腐でも、公平と見なせる立場を選択するように努めることで初めて良い社会が生まれる。ただ国民が自発的にそのことに気が付くかどうかは怪しい。それを促すのが政治家と報道の仕事なのだが、どちらも頼りない。私たちは今、実に困った状況にある。


(H28/3/27記)


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