☆ 拡大するコンピュータ社会 ☆

井出薫

 チェスや将棋だけではなく、囲碁でもコンピュータが人間に迫ってきた。囲碁は盤面が広く、しかも序盤は優劣の評価が難しく、コンピュータが人間に追いつくには時間が掛かると予想されていた。実際、数年前に出版された本を読むと2025年ごろが予想されている。ところが10年前倒しで、プロ棋士にコンピュータが勝った。

 コンピュータ囲碁でも、近年話題になっているディープラーニングの技術が使われている。パターン認識と自己学習で大きな革新を成し遂げたこの技術に秘められた力は計り知れない。特に自己学習能力の進歩は私たちのパラダイムを根底から転換する可能性を秘めている。これまでは、コンピュータがチェスや将棋でプロ棋士に勝っても、本当に勝ったのはコンピュータではなく、開発した人間だと言うことができた。コンピュータは開発者の書いたプログラムどおりに動いているだけで、自らが学習して力を付けた訳ではないからだ。言い換えると、実力が劣る者が、機械の助けを借りてプロに勝ったに過ぎない。しかし、自ら学習して実力を付けるコンピュータは、もはや人間に従属する単なる道具と見なすことができない。勝ったのはコンピュータではなく開発者だと言うこともできない。現状では、自己学習と言っても、まだ人間の手助けがかなり必要で、人間が持つ学習能力には及ばない。しかし、インターネットとモバイルの発展と普及で、自己学習に必要なデータの入手は容易になっており、技術が改良されていけば、人間の学習能力に近づきそれを凌ぐことも可能になる。囲碁の例から推測するに、それほど遠い将来の話しではない。

 こうなると、法整備や教育環境の変革が不可欠になる。自動運転自動車は夢物語だと思われていたが、実現のめどが立ってきた。使い道があるのかと尋ねる者もいるが、あると答えられる。深夜バスなどは人間の運転手よりも人工知能を組み込んだロボット運転手の方が安全性は高い。高齢化が進み、スキルの高い介護職員の数が慢性的に不足しているが、ここでもロボットの導入が期待される。いや今のペースで高齢者が増加するとロボットなしには介護事業は破綻する。介護現場にロボットを導入することに人道上の問題があるとの異論もあるが、ロボットを使うことは被介護者を差別することではない。介護を要する側に立っても、人間よりもロボットの方が気を使う必要が少なく、またいくら優れた機能を持っていても相手が人間や生き物でないから自分の道具だと考えることができる。それにより、被介護者の自尊心が傷つけられることは寧ろ少なくなる。ロボットが進化することで、今後、人間の世話になるよりロボットの世話になる方が気楽でよいという高齢者が増えるに違いない。

 いずれにしろ、人工知能技術が進歩・普及すると、コンピュータやロボットと人間の関係は変わらざるを得ない。自動運転自動車が事故を起こした時、介護ロボットが被介護者を傷つけたとき、開発者、同乗者や(人間の)監督員に責任を負わせる訳にはいかない場面が出てくるだろう。そうなるとロボットやコンピュータに責任を負わせるというスキームが必要になる。だが、ロボットやコンピュータに「責任」を帰属させるためには、「責任」概念及びコンピュータとロボットの概念の根本的な見直しが必要となる。これは容易ではない。今、夢が現実になろうとしている。だが、この夢は案外とほろ苦いものになるかもしれない。


(H28/2/21記)


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