☆ 護憲派からの改憲提案 ☆

井出薫

 憲法が国会で成立してから今年で70年、施行されてから69年が経つ。その間、一度も改正されていないのだから、保守派ではなくとも驚きだ。

 憲法は最高法規だと言っても、宗教の聖典とは異なり、あくまで実定法であり時代と共に見直しがなされることが望ましい。ところが、「改憲=第9条改正(改悪?)」という単純図式が広まり、第9条堅持を求める陣営(いわゆる護憲派)に改憲アレルギーが生じ、改憲論議がタブー化してしまった。冷静に考えればすぐに気が付くことだが、第9条は重要ではあるが一つの条項に過ぎず、改憲はそれに尽きるものではない。

 護憲派は改憲論議が第9条改正に繋がることを恐れる。その気持ちは分かる。筆者もそうだからだ。しかし、第9条以外でも、素人目にも、現代的な観点から見直しが必要と思われる条項が多数見当たる。

 第7条には天皇の国事行為が記載されている。天皇には国政の権限がなく(第4条)、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認により」とあり、国事行為の中に「衆院の解散」が含まれていることから、内閣総理大臣(以下、「首相」という。)に実質的に衆院解散権があるとされる。しかし、これは実に分かり難い、と言うか屁理屈に感じる。衆院解散権は非常に強い権限であり、国家の命運を握ることもある。首相に衆院解散の権限があることを明記したうえで、解散に一定の条件を課し事実上無制約となっている首相の解散権を制限した方がよいのではないだろうか。たとえば、憲法で「要件は法律で定める」として、法律を制定し「一票の格差が2倍以上の場合は、それを是正しない限り、解散権行使は出来ない」という制約を加えるなどということが考えられる。また、(ありえないとは思うが)内閣から衆院の解散を要請された天皇が解散を拒否したときにはどうなるのだろうか。国政の権能を持たないのだから、拒否した天皇の行為は違憲であり、内閣の要請通りにしないといけないということになる。だが、もし天皇が「そんなことは憲法のどこにも書いていないではないか」とあくまでも拒否したらどうなるのか。第7条に「天皇が国事行為を遂行できない場合は、法律の定めにより、内閣が指名した者が代行することができる」などという条文を入れるべきではないだろうか。いや、そもそも憲法の最初に天皇に関する条項が8条もあること自体が時代とそぐわないと感じる。筆者は象徴天皇制を支持する者(1条から8条の内容そのものは支持する者)だが、敗戦直後の現行憲法の制定時とは時代が大きく異なることから、時機を見て改正した方がよいと考える。

 地方自治については、92条から95条に規定がある。この四つの条項は地方自治が憲法上破棄し得ない国民の権利であることを明記したという点で画期的と評価される。但し、92条にある「地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」の「本旨」が何を意味するかは憲法に手掛かりがない。国民主権、基本的人権、平和、これが現行憲法の(前文に謳われる)3大原則とされるが、そこからも地方自治の本旨とは何かは読み取れない。読み取れるとしても、多様な読み方が可能で、いかようにも取れてしまう。「「本旨」の意味するところを憲法上に明示しないことで、国民の意識の変化と共に柔軟な対応が可能となる。」こういう考えは確かにあり得る。だが現実には国家権力特に政権与党が民意を無視して「本旨」を自分たちの都合の良いように解釈し、地方自治法など関連法制を数の力で改正してしまう恐れがある。普天間基地の辺野古への移転問題に関連して政府と沖縄県が対立している。この対立の背景には93条に基づき地方公共団体の長(知事、市町村長)が住民に選挙で選ばれた存在であるということがある。都道府県知事や市町村長は、それゆえ、中央政府から一定の独立した権限が与えられている。だから中央政府と闘うことができる。首相は自由に国務大臣を任命・罷免できる。だが知事や市町村長は任命・罷免できないし命令もできない。だから、内閣、そして、その背後の政権与党には地方自治を制約したいという意識が常に働く。地方自治の在り方を定める地方自治法は国会で改正することができるから、多数派(与党)が数の力で法改正をし、地方自治を大きく制限することは不可能ではない。憲法学者が「それは違憲だ」と指摘しても、違憲の疑いがある法制定・改正を阻止することができないことは安保法制ではっきり分かった。地方自治を守るためにも「本旨」の意味するところを憲法で明確にし、地方自治の形骸化(中央政府の出先機関化)を阻止する基盤とするべきではないだろうか。

 他にも、色々と気になる点は多い。24条には「婚姻は、両性の合意にのみ基いて」とあるが、これは同性の婚姻を否定していると解釈されうる。否定していないと解釈することもできると思うが、同性愛者と異性愛者を完全に平等に扱うのであれば、「両性」は「両者」とした方がよいだろう。但し、このような変更は「婚姻」なるものは2名に限られるのかという問題には回答を与えない。税制に関する84条、憲法改正に関する96条も議論の対象となろう。

 また、憲法を再読した感想として、国民の政治参加という観点が十分ではないという印象を受ける。国民の政治参加は(憲法で明確に認められているのは)衆参両院と地方公共団体の長と議員の選挙、最高裁判事の審査、憲法改正案の国民投票に限られる。基本的人権たとえば表現の自由などで事実上政治参加が担保されている、あるいは憲法で明記しなくても法律で定めればよいという考えもあるだろう。しかし権力者は一般論として政治に国民が口出しすることを嫌い、国民の政治参加には、それを進めることで選挙が有利にならない限り消極的になる。だから政治参加を促進するための根拠となる条項が憲法上に在った方が望ましい。日本では選挙以外で法案や国政に関して国民投票が行われたことはないが、選挙や憲法改正だけではなく、広く国民投票の権利が憲法上で認められるべきではないだろうか。また、日本国籍を有しない在日外国人の権利については何も記載がない。筆者は、地方選挙では一定の条件を満たす在日外国人に参政権を与えるべきだと考えるが、憲法上それが可能なのかよく分からない。少なくとも国政選挙にも選挙権を与えるのであらば憲法にそれを明記するべきだろう。他にもしばしば話題に上がる環境権やプライバシー権についても議論が必要だ。但し、筆者は、どちらの権利も憲法ではなく、法律で制定すれば十分と考える。

 いずれにしろ、現行憲法には、左翼やリベラルにとっても改正を検討すべて箇所が多数ある。改憲議論が第9条改正に繋がる恐れがあるからと言って、いつまでも改憲議論そのものをタブー視するのは賢明ではない。護憲派は教条的護憲論(現行の条文を一切変えてはならないという立場)から、現実的護憲論(憲法の理念つまり国民主権、人権、平和の維持・拡大を求める立場)への転換が求められている。


(H28/1/9記)


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