井出薫
一連の安保法制には反対だったし、今でも成立前の状態に戻すべきだと考えている。しかし、日本の置かれている状況を考えると、ただ元に戻せばよいという訳にはいかない。 日本の防衛費は5兆円近くに達し、米露中の超大国は例外として、諸外国と比較しても小さい額とは言えない。自衛隊の装備も決して貧弱なものではない。しかも世界最強の米国との間には日米安全保障条約が存在し、日本が攻撃されたときには米国が日本防衛のために戦うことになっている。日本が攻撃された時、本当に米国が助けるのか疑わしいと言う者がいる。しかし、米国がいざという時、日本を助けるかどうかはさほど重要ではない。「日本を攻撃すれば米国との戦争になる危険性がある」と諸外国に警戒させることができれば、目的はほぼ95%達成したことになる。日米安保は戦時を想定するものではなく戦争を回避するために存在している。そして諸外国は米国との戦争を回避しようとするから、将来はいざ知らす、この目的は現実的に達成されている。「日本は米国の核の傘に守られている」としばしば揶揄される所以だ。 日本の平和と安全は、憲法9条と日米安保という、矛盾する二つの柱に支えられている。立憲主義の原理原則に従えば、どちらかを放棄する必要がある。だが、日本の平和と安全は、憲法よりも、勿論日米安保よりも高次の社会的要請であり、他により良い方策がない限り、放棄する訳にはいかない。 矛盾を抱えながらも、多くの問題に現実的に対処している社会はたくさんある。寧ろ矛盾のない社会などないと言ってよい。しかし、日本はこの問題にこれまで余りにも無頓着だった。だが、今や、急激なグローバル化、中国の台頭、テロの拡大など世界の情勢は大きく変わり、今までどおりの遣り方は通用しなくなっている。憲法第9条堅持を叫ぶだけでは不十分だ。だからと言って、自衛隊の強化や集団的自衛権は日本の平和と安全を守る二つの矛盾した柱という重要な構造を破壊してしまう。 では、どうすればよいのか。生産の拡大が必然的にもたらす経済活動のグローバル化、インターネットの発展・普及などで、もはやグローバル化の流れを変えることはできない。グローバル化を前提に個々の問題に対処するしかない。だとすれば、日本はグローバル化する世界の中で自らの果たすべき責任を自覚し、それを実行するしかない。それは具体的には何だろう。憲法第9条に明記される戦力なき平和思想の世界への浸透と、日米関係のより平和的で健全な方向への改革、この二つだ。これは、矛盾した二つの柱を維持しながら、その矛盾を徐々に解消していく試みと言ってよい。そのためには、まず(解決すべき課題が極めて多いが)難民や移民を広く受け容れるなど閉鎖的な日本社会の門戸を広げ、開かれた社会「日本」を実現することが欠かせない。また軍事的な日米同盟を、広くアジア諸国を包含する平和同盟へと転化するための外交や具体的活動が必要となる。その一環として有益であれば集団的自衛権を暫定的に容認してもよい。但し、長期的には軍事同盟は解消し、自衛隊の戦力も縮小する必要がある。同時に憲法やその解釈についても硬直した態度を改め柔軟に対処することが必要となる。 いずれも容易ではなく一定の痛みを伴う。だが、いつまでも矛盾した二本柱を当てにしていくことはできない。矛盾を解消し真の平和を実現するために、現代世界における日本の責務を自覚し行動すべき時が遣ってきている。 了
|