☆ 安倍政権 ☆

井出薫

 平成24年12月に安倍政権が発足してから3年近く経つが、支持率は4割前後と歴代政権と比べて依然として高い。安保法制では批判を浴びたが影響は限られている。

 実績を全て否定するつもりはないが、支持率の高さが安倍政権の実績と能力によるものとは言い難い。期待できる野党が存在しないこと、外交などを中心に報道が総じて安倍首相の行動を積極的かつ肯定的に報じていることが大きく影響している。

 安倍首相が独裁者だとか、自民党が独裁や戦争を企んでいるなどと言うつもりは全くない。だが、安倍政権には大きな問題がある。それは民主制のルールを軽視していることだ。

 集団的自衛権は国連憲章で認められ、世界各国もそれを肯定している。自衛隊を保有し、日米安全保障条約を締結し、防衛費が年間5兆円近くに上る日本が、「専守防衛。外国の紛争には一切関わらない」では国際的責任を果たすことができない、という議論も理解できる。だから、一連の安保法制そのものを「戦争法案」と断じるのは公正ではない。だが、集団的自衛権は憲法上疑義があり、市民の不安も大きい。それを十分な議論もなしに、実質的に首相の権限行使である閣議決定により合憲と解釈し、数に頼んで国会で強行採決する。法はそれを許しているとは言え、明らかに、手続きの合理性・透明性を重要な核とする民主制の精神に反する。首相が良く口にする「法の支配」にも反する。「法の支配」は法に従うだけではなく、人の支配を排するところにその本質がある。法律上首相に決定権限があるとしても、専門家や市民の声によく耳を傾け、その声を汲んで決定する、あるいは自らは決定を差し控えるという姿勢が民主制社会の指導者には欠かせない。歴代内閣が、憲法判断を内閣法制局に任せてきたのも、この趣旨による。ところが、安倍首相は、集団的自衛権について内閣法制局が合憲の判断を下さないことにしびれを切らして、自ら合憲と決定した。安倍首相自身は独裁者ではないとしても、将来、独裁者の登場を促しかねない非常に危険な賭けをしたことになる。

 安倍政権の政策に批判的な報道をすると、「公平な報道をしろ」と報道機関に圧力を掛ける。しかし、安倍政権に好意的な報道をしても、「批判的な意見も取り上げ公平な報道をしろ」と言うことはない。さらには、幾ら非公式な会談での発言とは言え、安倍支持と目される一部の自民党議員やその支援者たちは、自民党に批判的な報道機関に対して「経団連に働きかけて広告宣伝費をださないようにして、懲らしめろ」などという基本的人権を否定する発言をする。これはちょっと口が滑ったなどという次元の話しではない。批判的な報道に対して、政治家が神経質になることは理解できる。だが正に「法の支配」の観点から、けっして圧力を掛けてはならない。批判的な報道や言論に対しては言論で冷静かつ説得力のある反論をするか、余りにも的外れな批判であれば市民の良識を信頼して無視するか、いずれかの道を選択しなくてはならない。

 東日本大震災や福島原発事故のような非常事態で機能せず、明確な景気対策がないままに消費税増税だけを決めた民主党政権よりは、政権運営面で安倍政権が優れていることは認める。積極的に外交を展開し日本をPRしていることも評価できる。事実、それらが支持率の高さに結び付いている。だが、その背景には危険な体質が潜んでいる。安倍政権を支持する市民も含めて、市民はこの現実をしっかりと認識し行動する必要がある。


(H27/10/17記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.