☆ ジャーナリストの自由を ☆

井出薫

 危険な地域への渡航を中止するよう国は勧告する。しかしそれでもジャーナリストは渡航する。国はビザを取消し、渡航を中止させる。だがそれにひるまずジャーナリストはビザの再申請をする。

 国が危険な地域への渡航を禁止しようとすることは理解できる。国は国民を守る責務がある。だが危険を覚悟のジャーナリストの渡航を強制的に中止させることには疑問を感じる。時として命を賭してでも取材をするのはジャーナリストの使命であり、その意義を認めるべきだ。

 ところが、ネットを見ていると、国だけではなく、一般市民が国の制止を振り切り渡航するジャーナリストを批判しているのをしばしば目にする。「自己責任で行くなどと格好を付けても、人質にされたら国と国民に大きな迷惑を掛ける。自分ひとりの問題ではないのだ。」と。この理屈は分からないではない。しかし、ここには大きな見落としがある。

 紛争地域の情報は少なく、真実は闇の中に隠される。風説が飛び交い、益々真実が見えなくなる。そんな中で、ジャーナリストたちが現地に入り取材し情報を伝えることの意義は計り知れない。勿論、真実が伝えられるとは限らない。十分な取材ができず誤った情報を伝えてしまう危険性は高い。バイアスの掛かった情報が流されることもある。しかし、たとえそうであっても、真実を求めて世界各地を奔走するジャーナリストの存在は、曲りなりにもこの世界に民主、自由と人権、平和を求める声が存在することを象徴しており、私たちに大きな希望を与える。それを、偶発的に発生する人質事件を理由に制限することは、角を矯めて牛を殺すに等しい。

 戦前の日本は人権と自由が大幅に制限されていた。共産党に参加する者は容赦なく投獄された。共産党員だけではなく、政府を批判する自由主義者、反戦を訴えるキリスト教徒なども弾圧された。マルクスの資本論を勉強するだけで特高警察にマークされた者もいる。ジャーナリズムは死滅し、新聞、ラジオは大本営発表を垂れ流し国民の目から真実を隠蔽し、それが少なからず敗戦必死の戦争を長引かせ、やたら死傷者を増やすことに繋がった。戦後の日本は、思想的立場の違いに関わりなく、その反省から出発した。改憲と護憲、自由競争重視と公平な分配の重視、親米路線と自主路線など、多くの問題で、立場が異なる者たちが議論を戦わせた。しかし、意見の相違があっても、暴力や国家の強制による問題解決は回避してきた。そして、その背景にあったのが、報道の自由とそれを支えるジャーナリストの心意気、その自由を支持する市民の声だった。

 先に引用したジャーナリスト批判は、ごく一部の者の声に過ぎないだろう。ネットはごく一部の者の意見が突出し、それが大勢であるかのごとき錯覚を時には与える。実際は、多くの市民は、危険な地域へ取材に赴くジャーナリストの自由を最大限尊重していると信じる。ただ、近年、戦前の記憶が薄れたこともあり、この自由の重要性を感じにくくなっていることも否めない。真実を報道するというジャーナリストの使命、そのために認められる取材の自由、それを支持する市民、この3つが揃って初めて、自由、民主、公平かつ平和な社会が実現する。そのことを忘れないようにしたい。


(H27/3/29記)


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