井出薫
75歳以上の高齢者(いわゆる後期高齢者)である両親を医院や病院に連れていくと一寸驚くことがある。診察が終わり会計をするときのことだ。「え、安い、間違っていないか」、暫くして医療費負担が1割であることに気が付く。自分は3割負担だから、自分の病のときにはその3倍を支払う。だから安く感じる。 しかし、良いことだ。高齢者は病気になり易く、その一方で収入は少ない。一部の資産家や高齢になっても組織の役職にある者は別にして、多くの高齢者は生活が楽ではない。もし3割負担になると、体調が悪くても我慢して医者に行かないということが増えてくる。しかし高齢者ほど重症化しやすく初期段階での受診が欠かせない。家族と同居していれば、必要あれば家族が医療費を負担するから余り問題はない。しかし、単身者や夫婦だけで暮らす高齢者には切実な問題となる。高齢者の医療費の自己負担比率の引き上げが議論されているが、実施するべきではない。 財政赤字の拡大もあり、「聖域なき改革が必要だ、社会保障費も例外ではない」などという言論が、報道機関を含めて広がっている。しかし、これは間違っている。聖域なき改革などありえない。それは間違いなく改悪に繋がる。 どんな組織にも絶対に削ってはならない支出がある。たとえば、航空会社であれば、機体の整備・点検・修繕、乗務員の健康管理や教育訓練など航空機の飛行の安全に欠かせない費用は削ることができない。業績が悪化し費用削減が不可欠であれば、交際費、広告宣伝費、役員や幹部社員、世間相場からみて極端に賃金が高い社員の報酬や賃金などを削ることで対処すべきで、飛行の安全確保に必要な支出を減らすことは許されない。それが必要となるようであれば、民事再生法または会社更生法による再建を目指すか、他の企業に救済合併されるか、あるいは解散して事業を畳むかするしかない。 同じように国家にも削ってはならない支出がある。社会保障、福祉、教育、医療・衛生、消防、警察などがそれに当る。もし減らすのであれば、代替手段により、利用者の利便性が維持される又は向上する措置が取られている必要がある。 高齢化の進展で、必要とされる介護職員の数はこれから益々増加する。ところが介護職員が集まらない。理由は簡単、賃金が安いからだ。大企業の従業員と比較して、介護職員は仕事がきつく、責任は重く、高いスキルを必要とする。ところが大企業の従業員の方がずっと賃金が高い。これでは介護職員が不足するのは当然の成り行きと言わなくてはならない。 福祉や社会保障、医療・衛生の分野は、需要が増えてもサービス提供側の収益が増加しないという、自由市場の限界が露呈する典型的な事例の一つに数えられる。これらの分野では市場に任せたのでは資源の最適配分が実現されない(いわゆる「市場の失敗」)。だから政府の介入が欠かせない。特に介護のようなこれからその必要性が増す一方である分野では、支出削減ではなく逆に支出の上積みが必要となる。介護職員の賃金や退職後の年金が大企業の従業員なみにならないといずれ介護事業は成り立たなくなる。 それゆえ、財政再建には、公共事業、国防費などの見直し削減が避けられない。しかしこれらの分野でも「聖域なき」とはいかない。住民サービスや景気対策のために削ることができない公共事業もある。国際緊張が高まれば国防費も削減が難しくなる。そうなると、利益を上げている法人、資産家や高額所得者など生活に余裕がある者たちへの課税強化が避けられない。だが、増税も、課税強化が却って財政に悪影響を与えることもありえるので簡単にはいかない。 「聖域なき改革」の本当の意味は、既得権益を貪る者たちの土台を掘り崩すことにあると言われることがある。しかし、今、国が進めようとしている政策は、既得権益の土台を掘り崩すことではなく、カットしてはならない支出まで含めた「一律カット」という政策に過ぎない。これでは短期的に状況は良くなっても、必ず反動が来る。そしてその反動で今よりも、より悪くなる。「聖域なき」ではなく、「聖域がどこであるか」をしっかりと見定め、そのうえで、それ以外の分野で効率化を図り、同時に十分な余裕がある者への課税の強化を図ることで、財政再建を進める必要がある。また、社会保障や福祉の充実が、消費の活性化と経済の安定に繋がることも忘れてはならない。そのためにも「聖域はある」ことを認識する必要がある。 了
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