☆ 相続 ☆

井出薫

 今年から相続税増税が実施される。基礎控除が5千万円から3千万円に、相続人一人あたりの控除が1千万から6百万に減額され、税率も若干上がっている。これに伴い、これまで相続税を気にする必要がなかった家庭でも、相続税が徴収される可能性があると言われている。相続財産が金融資産の場合は相続財産の一部を支払いに充てればよいので問題ないが、相続財産が専ら土地建物である場合は、税金をどこかから捻出しなくてはならず相続人は頭が痛いだろう。

 経済格差の固定化・拡大が大きな社会問題となりつつある現在、相続税増税は税収確保という観点からだけではなく、富の再分配という観点からも妥当な政策だと評価される。

 さらに、より一層踏み込んで、相続税率100%つまり事実上相続という制度そのものを廃止するという考えがある。但し、これには例外がある。配偶者、農家や個人商店など家族で事業経営をしている場合などは相続が容認される。被相続人の資産は家族が協力して形成したものと認めることができるからだ。しかし会社員の子弟などは、子どもが親の経済的な支援をしている場合を除けば、親の資産形成に子どもが貢献していることはなく、子供が親の経済的な支援をしている場合は親には蓄えがなく遺産はない。だから子どもが親の財産を相続するのは不合理だという考えが導かれる。私有財産制を擁護したジョン・ロックも、財産権が認められるのは原則的に本人が働いて得たものである場合に限られるとしている。(但し、ジョン・ロックは相続権を否定していない。)

 しかし、親の遺産がないと生活が苦しいという切実な声を別にしても、理論的にも、この考えには多くの者が反対すると思われる。では、どのような反論が考えられるだろう。まず日本国憲法第29条で財産権が認められている。だから違法行為でない限り所有財産の処分方法は個人の自由とみなしてよい。全て消費してもよいし、福祉施設や教育機関に寄付してもよい。世話になった人たちに譲渡してもよいし、子どもに残してもよい。いずれを選ぶかは個人の自由であり、相続制度を否定したら財産権の侵害になるという意見がある。この主張が憲法学的に妥当かどうかは知らない。しかし、第29条には「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律で定める」とあるから、子どもへの相続制度を否定しても必ずしも憲法違反にはならないと思われる。但し、故人の財産を全て国あるいは地方自治体が独占してよいのか、という議論はあるだろう。

 次に実務的に無意味だという意見がある。遺産相続ができないのであれば、親は子供に、様々な機会を捉えて生前贈与をするに決まっている。譲与税を100%にする訳にはいかないから結果的に相続と同じ結果になる。他にも親は相続という形ではなく子どもに財産を譲渡するために様々な工夫をするに違いない。保険会社などが一役買って、子どもに上手く財産が譲渡できるように仲介することが予想される。外国に移住する、あるいは資産だけ外国に移すということも考えられる。また第三者や法人組織を使って事実上の相続をする方法もある。しかも、こういう工作は裕福な者ほど様々なルートを使って容易に実行できる。だから相続制度を廃止することは実務的に意味がないと言う訳だ。しかし税法の整備などでこれらの裏相続対策は可能だと思われる。

 また相続制度廃止の狙いの一つは、格差の是正にあるが、格差は親が生きている間にすでについているという指摘もある。裕福な家庭の子どもは良い教育環境を得て、小さいころから優れた教養や技能を身に付け、さらに将来出世が期待される友人や知人をたくさん作ることができる。親の財産を相続する頃にはすでに勝負はついている。だから相続制度廃止の意義はほとんどないと言う訳だ。確かに、直ちに大きな効果は期待できない。だが、義務教育の高校への拡大、義務教育を受けるに当って生じるあらゆる費用の国家による負担、公立学校の教育水準向上、社会人学習の充実などの施策と組み合わせることで格差是正の効果を生み出すことは可能だと考えられる。また、将来、親の遺産を当てにできる者は、(失敗しても遺産で充当するめどが立つため)リスクが小さいことからベンチャー起業家となることができるが、親や兄弟姉妹を経済的に支えないとならない者は、ベンチャーはリスクが大きすぎるため、折角良いアイデアと才覚を持っていても、安全な会社員の道を選ぶことを余儀なくされる。こういう事例を考えると、相続制度の廃止による格差是正策はそれなりに意義があると思われる。

 しかし最大の反論は、「子どもへの相続廃止という思想は「家族」という存在を軽視している」というものだろう。子どもの存在は親の生き甲斐であり、子どもの喜ぶ顔を見ることは至上の喜びであると言う者は数多い。結婚したいとは思わないが子どもは欲しいと言う者もいる。子どもがいない(妻もいない)筆者にもその気持ちは理解できる。だから親による子どもの虐待のニュースが流れると心底腹が立つ。人は一人では生きていけない。何らかの集団に帰属しその集団の規律に従い生きていく。それは悪いことではなく人間という存在の本質に属する。そしてその人間としての基本的な在り方の原初的な形態が「家族」と呼ばれる。だから「家族」は必ずしも血の繋がりに基づくものである必要はない。幼くして親を亡くし引き取る親族が居ない子どもは施設で暮らす。それでも子どもの世話をする施設の人が優しい良い人であれば、その子はその者を親と慕い、親しくなった友達を兄弟として育つ。その子はそこに安らぎを得る家族を見い出す。周囲も家族の一員としてその子と接する。そして子どもは産みの親がなくとも良い大人になれる。ここで確実に言えることは、「家族」という場が人を人として育てるということだ。(注)
(注)プラトンは、その著「国家」で、子どもが生まれたら直ちに親から引き離し、誰が自分の親か、誰が自分の子どもか分からないようにし、子どもは国家で育てるべきだと論じている。しかし、プラトンの考えには同意できない。社会あるいは国家という名の巨大組織の中に年端もいかない子どもが放り込まれたら、国家に完全に洗脳されてしまう危険性が強い。子どもはまずは小さな単位である家族の中で育てられ(児童施設の場合は一つのクラスはできるだけ小さい方がよい)、その後、学校や地域社会で多くの人と接し、自主的に行動し考える力を養い、反省的・懐疑的・批判的思考能力が十分に身に付いた段階で、国家組織とその思想、それに反対する者たちとその思想に接する機会を得るようにすることが望ましい。それにより、寛容で、協調性と健全な批判精神・懐疑精神を併せ持つ良い大人となることができる。

 こうして考えていくと、相続制度廃止は良い施策とは言えないという結論に至る。それゆえ、今後も相続制度を存続し、必要に応じ、控除額減額や税率引き上げで税収確保と富の再分配を行うのが妥当な政策となる。但し、先に述べたベンチャー起業家の例のように、相続財産の差は、やはり人生に大きな影響を与える。それゆえ、子どもへの相続制度を廃止しないにしても、その制度の社会的影響を常に監視、評価し、必要に応じ改善することが欠かせない。


(H27/1/3記)


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