☆ 法の支配を ☆

井出薫

 予想通り自民党が圧勝し、安倍首相は信任されたと宣言した。よほどの景気の落ち込みやスキャンダルがない限り、来年の自民党総裁選で安倍首相が再選されることは確実で、このまま安倍政権が長期化する可能性が高い。

 政権が安定することは悪くない。小泉元首相が引退して以来、日本の政治は、毎年のように首相が交代し、悪化の一途を辿ってきた。今回の選挙で安倍政権が圧勝したのも、政権たらいまわしに嫌気がさした選挙民が(消極的な)信任を与えたからと見ることができる。

 だが、長期政権になる見込みが高いからこそ、安倍首相(内閣総理大臣)には注文を付けない訳にはいかない。それは「法の支配」の原則を忠実に実践してもらいたい、ということだ。首相は外交で常々「法の支配」を強調する。ところが国政に目を転じるや、首相の遣っていることは完全に「法の支配」に背いている。

 「法の支配」は「法治主義」とは違う。法治主義は法に従い国家運営が行われることを求める。それは見方によっては法に従っている限りは独裁でも良いということを意味する。それに対して「法の支配」は法に従うだけではなく「人の支配」を排除する。だから「法の支配」はたとえ合法であろうと独裁を認めない。つまり法解釈上は独裁的な政治が可能でもそれを拒否するのが「法の支配」なのだ。

 日本の総理大臣の権限は強い。米国の大統領と日本の総理を比較するとき、米国の大統領の方が強い権限を持つと勘違いしている者が多い。しかし、それは間違っている。寧ろ日本の総理の方が強い権限を持つ。米国大統領は法案提出権がない。議会の解散権もない。議員を兼務することもできない。たとえば、1997年末に京都で開催された気候変動に関する国際会議を思い出してみよう。クリントン大統領(当時)は米国に7%の二酸化炭素排出量削減を義務付ける京都議定書に賛成し署名した。それにも拘わらず、議会の反対で同議定書を批准することができず、米国は京都議定書から離脱することになる。このようなことは、日本ではまず起きない。政権政党(与党)の思惑だけで罷免されることがないという点では米国大統領の地位は安定している。しかし与党が一致して総理を支持していれば、日本の総理の方が明らかに実質的な権限は強い。だからこそ、総理大臣は「法の支配」の原則に従うことが求められ、法で許容されているからと言って総理大臣が安易に権限行使することは許されない。

 内閣には法案提出権がある。提出法案に対して責任を負うのは内閣総理大臣だ。法案は憲法に違反するものであってはならない。つまり法案の合憲性に対して責任を持つのは総理大臣だということになる。だから、憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認に当って、安倍首相は「最後は自分が決める」的な発言をした。確かに法治主義の観点だけでは安倍首相の発言を不適切なものだとは言えない。だが憲法解釈の権限を総理大臣が握るということになったらどういうことになるだろう。総理はたいていの場合、国会で多数を握る政権政党のトップを兼任している。それゆえ、総理大臣は事実上、立法と行政の両方で最高権力を有する。司法は権限の範囲外にあるが、最高裁長官は内閣が指名すること、裁判には時間が掛かること、司法には直接的には執行権限がないことを考えれば、間接的ではあるが総理大臣の支配は司法にも及び。つまり、総理大臣はその気になれば、憲法や法律に抵触することなく自由自在に憲法解釈を変更することができる。だから、逆に言えば、そういうことにならないように、歴代の内閣総理大臣は、内閣法制局の見解を尊重し総理自らの憲法解釈を封印してきた。それこそが「法の支配」が求めることであり、それに基づくチェックアンドバランスがデモクラシーを守る。ところが安倍首相はそれを破った。これは確実に悪しき前例になる。将来日本が合法的に独裁体制へ移行するようなことが起きれば、安倍首相がその切っ掛けを作ったということになる。

 先の選挙についても同じことが言える。総理大臣には衆議院を任意に解散する権限があると信じられている。報道もそれが自明の理であるかのように、「解散は総理の専権事項」などと論じている。しかし総理大臣の解散権には異論がある。六法全書を読んでも、どこにも総理に解散権があるなどとは書いていない。憲法解釈の結果、通説として、総理大臣に解散権があると認められているに過ぎない。しかも、その解釈はかなり強引で首を傾げたくなるようなものだ。憲法7条の天皇の国事行為に衆院解散がある。天皇の国事行為は全て内閣の助言と承認が必要で、かつ、天皇には国政の権能がないことから、内閣が天皇に衆議院解散を進言すれば自動的に衆院は解散されることになる。この条文から内閣には衆議院の解散権があると解釈されている。だが7条は天皇の国事行為を定めたものであり、内閣や内閣総理大臣の権限を定めるものではない。衆議院は4年が任期と定められているから、前の選挙から4年経てば解散して総選挙をしないといけない。だから7条は、「4年の任期が満了した時、ときの内閣が天皇に解散を進言し天皇が公布する」ことを定めたものと解釈することもできる。しかも解散権は内閣にあり総理大臣にある訳ではない。ただ、憲法68条に国務大臣は総理が任命し任意に罷免することができるとあるから、閣議で総理が解散を提案したとき、解散に反対する国務大臣が居たら、その場で当該大臣を罷免することで、全員一致で解散を議決することができる。そのため、内閣総理大臣に衆議院の解散権があるとされている。だが、この憲法解釈はかなり強引で、過去の経緯から総理の解散権が既成事実化しているに過ぎないというのが本当のところだ(注)。
(注)但し、このことを以て、総理大臣の解散権が不当なものとは言えない。国会が与野党対立などで機能不全に陥った時に、総理大臣に解散権がないとすると事態を打開する手段がなくなる。

 それゆえ、総理大臣は、与党だけではなく野党、世論に十分な配慮をし、解散を正当化する十分な理由が存在する場合にのみ解散することができると考える必要がある。そして、こういう限定をしてこそ、初めて「法の支配」が行き届いていると認めることができる。確かに、ほとんどの総理が自らに有利なタイミングを見計らって解散をしてきた。その意味では、安倍首相だけが「法の支配」を無視したとは言えない。だが、先の選挙から2年しか経過していない時期に、衆議院で内閣不信任案が可決された訳でもないのに解散するということは異常な事態だと言わなくてはならない。実際、過去の解散でも、今回の選挙のように準備不足の野党の不意を突くような解散は例がない。それゆえ安倍首相が「法の支配」の原則を事実上蔑にしていることは否定のしようがない。

 安倍首相には、この先、「法の支配」の原則に則った行動を強く求めたい。また報道や一般市民は首相が法の支配の原則に従っているかを厳しくチェックする必要がある。安倍政権は長期化する可能性が高く、また早期退陣する事態になっても政策的、行動パターン的に安倍と大差がない石破が後任となる可能性が高い現在、このことは尚更重要なこととなる。


(H26/12/21記)


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