☆ デング熱 ☆

井出薫

 約70年ぶりに国内でデング熱感染が確認されたのが8月27日。代々木公園でデング熱の病原ウィルスを持つ蚊に刺されて感染したと推測されている。しかし、直後、公園の一部区域が一時的に閉鎖されたものの、すぐに解除。蚊の寿命は短く、また季節も秋に向うということで、これ以上感染は拡がらないと判断され本格的な対策は見送られた。

 ところが、その後、代々木公園の複数の場所でウィルスを保有する蚊が確認され、9月4日に公園が閉鎖されることになる。並行して代々木公園の隣の明治神宮で感染したと推定される患者が確認され明治神宮も一部区域が閉鎖。さらに、9月5日には代々木公園から1キロ近く離れた新宿中央公園で感染したと推定される患者が新たに確認され、蚊の調査と駆除が開始されている。

 ここに来て、漸く、厚生労働省、地方自治体など行政機関と医療機関が本格的な活動を開始した。しかし、最初の感染確認からすでに1週間以上が経過しており、明らかに初動が遅れたと言わなくてはならない。しかも、今後の感染拡大防止策が確立されていないため、これからどの程度拡大するのか、いつ終息するのか、予測が付かない。

 約70年間国内で感染がないということは、日本人のほとんどが免疫を持たないことを意味する。空気感染する訳ではないからインフルエンザのように大流行することはない。しかし、誰も免疫がないのだから感染が拡大する可能性は高い。さらにほとんどの医師がデング熱の患者を診察した経験がないから、見逃す危険性も高い。幸いなことにこれまで重症化した患者は出ていないが、子どもや高齢者、病人などが感染すると、デング出血熱へと重症化し、適切な措置が受けられないと死亡する危険性もある。

 これらのことを考え併せると、デング熱感染が確認された時、速やかに感染拡大防止策を策定し直ちに実行するべきだった。そしてその必要性を認識することはできたはずだ。感染から発症までに4日から7日掛かると言われる。その間に、発症前の保菌者が蚊に刺されることが当然ありえる。そもそも代々木公園の蚊が保菌者になったのも、海外で感染した者を蚊が刺したことが原因だと推測されている。同じ理屈で、患者が自宅近辺あるいは通勤先、通学先で蚊に刺され、その蚊が保菌者になっている可能性が十分にある。また、蚊の活動範囲は50メートル程度と言われるが、風に乗って遠くに飛ばされる可能性もあるし、荷物などに紛れ込んで遠くに運ばれる可能性もある。新宿中央公園の感染源の蚊については、代々木公園で蚊に刺され感染した患者が新宿中央公園で蚊に刺され、その蚊が保菌者になったと推測されているが、風で代々木公園から運ばれた可能性も否定できない。このように感染拡大の経路は少なくない。だから感染が拡大することは予測することができた。なぜ、それができなかったのか。検証の必要がある。

 感染、発症しても重症化することは少ないことが初動の遅れの原因だと考えられるかもしれない。「重症者もいないのに大袈裟に騒ぎ過ぎだ。風邪の患者数と比較してみろ、珍しいだけで騒ぐほどの話しではない。」と指摘する声もある。だが、これがエボラ出血熱のような致死率の高い病気であれば、関係者が直ちに行動を開始し、感染拡大防止に成功していただろうか。正に、ここが肝心なところなのだ。そうであれば、確かに、デング熱はさほど大きな問題ではないと言えるかもしれない。しかし、行政の一連の対応をみていると、エボラ出血熱のような重大な病気でも迅速かつ的確な行動を期待することはできないと判断せざるを得ない。蚊の駆除、蚊の保菌状況調査、いずれも、泥縄式で、事前に準備された手順に従い理路整然と実行されたとは言い難い。実際、最初の調査では代々木公園にはすでにウィルスを保有している蚊はいないとされていた。だから公園の閉鎖はすぐに解除された。ところが、感染者数が増えたことを受けて実施された再調査では複数の蚊がウィルスを保有していることが確認された。最初の調査が杜撰だったことは疑いようもない。テレビで放映された蚊の駆除作業の作業員は、手袋もしておらず、あれでは作業員が感染するのではないかと心配になる。

 10年前、鳥インフルエンザによるパンデミックが危惧され、その対策が世界各国の喫緊の課題となったことは記憶に新しい。そのとき、日本政府の対策は水際作戦つまり国内へのウィルス上陸阻止に偏り、国内で感染・発症者が出た時の拡大防止策ができておらず、効果に疑問がある抗インフルエンザウィルス薬の備蓄だけが唯一の国内対策だった。幸い、パンデミックには至らなかったから良かったものの、パンデミックになっていたらと考えるとぞっとする。

 正に、今回のデング熱騒動は、日本の感染症対策に不備があることを証明した。デング熱自体は、時期的に秋に向い気温が下がり蚊の活動が不活発になることもあり、暫くすれば終息し大きな傷跡を残すことはない可能性が高い。しかし、エボラ出血熱のような病原菌が日本に侵入したら、そうはいかない。今のままでは、想定以上に多くの被害者が発生し、日本社会はあらゆる面で大打撃を蒙る。政府や自治体、医療関係者は、今回の失敗の原因などを十分に精査し、今後の教訓とし、パンデミックや未知の強毒性病原菌の国内感染時の対策を再整備してもらいたい。


(H26/9/6記)


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