☆ 護憲派の悩み ☆

井出薫

 公明党が難色を示していることもあり、改憲論議は進んでいない。しかし安倍首相が積極的な改憲論者であることは間違いなく、消費税増税の逆風を乗り越え経済が軌道に乗れば、本格的に改憲を推進することになろう。状況によっては、改憲派である維新やみんなと手を組むこともありえる。

 これに対する護憲派だが、悩みが多い。護憲派といっても、立場は様々で決して一枚岩ではない。天皇制を否定し、天皇について規定する第1条から第9条を削除するべきと考える立場の者は自らを改憲派と呼びことはなく、通常、護憲派だと称している。つまり、この場合の護憲とは憲法第9条を変えない立場に等しい。また、文字通り現行憲法を変えないとする立場でも、大きく分けて二つの相反する立場がある。自衛隊と日米安保を合憲とする立場と、違憲とする立場だ。後者の立場を取る者は、自衛隊と日米安保の解消を目指すことになる。そして、積極的な護憲運動を展開する者は、通常、この立場を取る者が多い。しかし、世論調査などで4割を占める憲法改正に批判的又は慎重な立場の一般市民の多くは、自衛隊と日米安保を容認している。まず、ここに護憲派の悩みがある。

 自衛隊と日米安保の合憲性について、最高裁は、統治行為論に基づき憲法判断を回避した。国防という国政の根幹に関わる問題は、主権者である国民の判断に委ねるべきことであり、司法の判断に馴染まないと言う。筆者が学生だった40年近く前には、この最高裁の判断を司法の違憲審査権の放棄であると批判する者が少なくなかった。当時、筆者自身、批判者に共鳴して最高裁の判断は正しくないと考えていた。しかし、現在は、この問題で最高裁を批判する者は護憲派の中にも多くはいない。

 もし、今、最高裁が、自衛隊と日米安保の違憲判決を下したらどうなるだろう。政治家の多くは厄介なことになったと狼狽え、最高裁の判決に遺憾の意を表明するだろう。しかし安倍首相などは「改憲の絶好の機会が到来した」と内心喜ぶのではないだろうか。最高裁で自衛隊と日米安保の違憲判決がでれば、国会と内閣は、自衛隊と日米安保を解消するか、憲法を改正するか、いずれかの道を選ぶしかない。安倍首相は喜んで改憲の道を選ぶ。そして、こう訴える。「国民の皆様、私たち日本人には二つの道しか残されていません。憲法を改正して自衛隊と日米安保の合憲性を確立するか、憲法を維持して自衛隊を解体し日米安保を破棄するか、このいずれかです。この美しい日本を守るために、私は政治生命を賭け断固として憲法改正を提案します。」おそらくこの演説は結構受けると予想する。護憲の立場を取る一般市民の多くは、(少なくとも)自衛隊は必要だと考えており、自衛隊の維持のためには改憲しかないということになれば、改憲に賛成票を投じる可能性は高い。

 当然のことながら、この展開は護憲派にとって望ましくない。護憲運動を盛り上げて、護憲(=自衛隊と日米安保解消)に国民世論を誘導する力は護憲派にはない。それができるくらいならば、すでに自衛隊と日米安保は解消されている。それゆえ自衛隊や日米安保については、当面、その憲法判断は棚上げにして憲法を維持したい。これが多くの護憲派の本音だろう。たとえば、護憲派と目され、ネトウヨ(ネット右翼の略)の攻撃対象となっている朝日新聞などは、この立場の代表だと言ってよい。改憲を拒否し、その代わり自衛隊や日米安保の問題は憲法解釈論で切り抜ける。こういう戦略を取っている。だが、最高裁が明確な違憲判決を示したら、この立場は崩壊する。護憲派たる者、最高裁の違憲審査権を否定する訳にはいかない。それは正に憲法を否定することになるからだ。

 このように、現在、護憲派は苦しい立場に陥っている。改憲派の足並みが揃っていないこと、国民の多くが自衛隊と日米安保を支持しながらも、積極的には第9条の改正を望んでいないこと、最高裁が違憲判決を示す可能性がないこと、こういう状況が辛うじて護憲思想を維持させている。だが、これは決して強い立場でも、説得力のある立場でもない。

 そもそも憲法は国民の上に立つものではなく、国民の権利を守るために存在する。だから絶対的護憲主義などという立場はありえない。憲法は宗教の聖典ではない。それは可変的であり柔軟であるべき存在だ。ただし改正や解釈の変更は、あくまでも、十分な情報が与えられたうえで、かつ、徹底的な討議の下、国民主導で遂行される必要がある。そうしないと、民主制も、人権も崩壊しかねない。

 そして、まさに、そういうところにこそ、護憲の存在意義がある。条文そのものを死守することではなく、憲法が体現している法の精神を守ること、それが大切なのだ。

 いずれにしろ、今のままでは、護憲派の立場は苦しい。だがそれは余りにも憲法の条文とその解釈ばかりに固執し、現実と法の精神を考えることを怠ってきたこと、つまり大局的な視野を欠いてきたことに原因がある。そして、そのことは改憲派にも丸ごと該当する。改憲派も護憲派と同じように説得力ある議論はできていない。やたら、押し付け憲法だの、中国の脅威だのを言い立てるだけで、冷静で理性的な議論は見当たらない。

 今一度、護憲、改憲に拘ることなく、全ての者が、依然として戦争が紛争解決の手段として使用されている世界の現実を直視すると同時に、戦力が不要の平和な世界の実現が、国境を超えて、現代に生きる圧倒的多数の人々の願いであることを思い出し、何ができるのか、何をするべきなのかを考え直す必要がある。そして、そういう大局的な立場から眺めるとき、憲法第9条その他現行憲法の意義も再評価されることになる。逆に、それができずに、護憲派も改憲派も条文に固執し、相手を罵倒し、レッテル貼りに終始するならば、憲法はいずれ改悪されることになる。


(H26/2/17記)


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