☆ 憲法を考える ☆

井出薫

 憲法が施行されてから今年で67年。随分と月日が経つ。憲法は人々の暮らしに浸透し、人権と日本の平和と秩序を支えてきた。その一方で、人々はその存在を忘却している。卒業してから一度も読んだことがない、第9条以外はほとんど知らない、という人も多いだろう。

 そこで、改めて憲法を読むと、皮相的に読むだけでは不十分で真摯に考える必要があることを痛感する。憲法という最高法規には、個別特殊な事例を事細かに書くことはできない。憲法に基づき国会で制定される法律ですら、その多くは一般的な規定に留まり、法の執行に当たって行政に多くの裁量が与えられている。だから憲法を活かしていくためには、市民が条文を読むだけではなく、考え、討議しその精神を理解し発展させることが欠かせない。安倍政権は経済政策で成功を収め、今年の半ばごろから改憲へ向けての体制整備、宣伝活動の強化に動き出してくる可能性がある。改憲を端から否定するつもりはないが、憲法を考え、知り、安易に政治家の言動に惑わされないようにする必要がある。

 憲法の課題は第9条に限られていない。憲法で最も重要な位置を占める基本的人権においても注意すべき点が幾つもある。

 第11条で基本的人権は侵すことのできない永久の権利であると宣言されている。一方、12条では、権利の濫用の禁止、公共のための利用が謳われている。勿論これは矛盾するものではない。権利の濫用は他人の権利を侵害する。誰も正当な理由なしには他人に危害を加えたり、拘束したりする権利はない。自由の権利は他人の自由の権利を侵害しない限りにおいて認められる。この辺りは、原則論的には、議論の余地はないだろう。

 だが「知る権利」はどうだろう。一般市民に他人のプライバシーを知る権利はない。他人の権利を侵害するからだ。だが、行政機関の活動やそれが保有する情報はどうだろう。特定秘密保護法案は特定の情報を行政が秘匿することができるとする。個人情報保護など憲法で保証される基本的人権に関わること以外で、秘匿が合理化される事項があるだろうか。あるとして、その範囲は誰がどのように定めることが合理的なのだろうか。全て国会が決めると言うのは実務的に無理がある。それゆえ行政に一定の裁量が与えられるべきだろう。だが安易に行政に権限を与えることは民主制の危機を招く。しかしながら、憲法には、行政裁量の範囲を適切に限界づけるという難問を解く手掛かりはない。

 第92条には、地方公共団体の組織と運営は地方自治の本旨に基づいて法律で定める、とある。しかし肝心の「地方自治の本旨」が何であるかがこれだけでは分からない。国民主権、基本的人権、平和という3つの理念が地方自治でも活かされる必要があるが、それだけのことならば、わざわざ「地方自治の本旨」と書く必要はない。この言葉は憲法の条文を超えた原則が存在することを示唆している。だが、その手掛かりが、憲法のどこにも与えられていない。

 石原前都知事は、未だに、日本の憲法ほど酷い憲法は世界にない、などと言っている。だが日本の憲法は決して悪くない。聖典化することは望ましくないが、少なくともその精神は守るに値する。石原氏も内心はそのことが分かっているに違いない。だからこそ、逆に、市民が真剣に憲法を読む前に「駄目な憲法」という先入観を植え付けたいのだろう。だが、まさにこのような政治家の企てに安易に乗ってはいけない。よく読み、よく考えたうえで石原氏の言うことが正しいと納得するのであればよい。だが「私は石原を支持する」、「安倍を支持する」、「護憲派は反日の左翼集団で我慢がならない」などという理屈や感情で、よく読みもせず、よく考えもせず改憲に賛同するべきではない。それは思考停止に等しい。このことだけは忘れないで欲しい。

 そして、もう一つ忘れないでほしいことがある。ここで幾つか事例を挙げたとおり、憲法はその条文だけで機能するものではない。前文を含めてその条文だけでは、国民に与えられる権利の限界は読み取れない、地方自治の本旨も読み取れない、自衛隊の存在が正当かどうかも明らかではない。必ずしも明文化されていない法の精神と一体になって初めて憲法は十全に機能する。だから法の精神を定めるのが誰であるかが肝要になる。それが特定の政治家、専門家、官僚であるのか、それとも一般市民であるのか、これが決定的に重要になる。確かに一般市民に正しい選択ができる保証はない。一般市民が独裁政治を生み出す危険性は常にある。市民のコンセンサスという名目で、多数による少数への暴力が正当化されることもある。だから専門家や政治家に任せた方がよいという考えも当然ありえる。だが専門家や政治家への白紙委任だけはしてはならない。市民が法の精神を生み出し育む過程に積極的に関与すること、これだけは絶対に必要だ。


(H26/1/20記)


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