☆ 平成25年を振り返る ☆

井出薫

 平成25年はどんな年だっただろう。要約すると「分かり易い年だった」ということになる。

 「これまでとは次元の違う大胆な金融緩和を実施する」と安倍首相は宣言した。大胆な金融緩和で資金が市場に溢れれば、金利が下がり、通貨は円安に向かう。輸出産業には有利な状況が生まれ、資金は株に流れ株高になる。円安株高を背景に企業の業績は上向き、消費が活性化して景気が良くなる。経済学を少しでもかじったことがある者ならば、こうなる可能性があると容易に予測が付く。だが、同時に、経済は複雑で、それほど簡単に事が進むはずがないとも予想する。ところが、概ね狙い通りに円安株高が進行し、輸出産業を中心に企業の業績が回復し、失業率は下がり景気回復の兆しが見えてきた。実に分かり易い。民主党も、こんなことくらいで景気が持ち直すなら、何故同じことをしなかったのかとさぞかし悔やんでいるだろう。4年前政権交代に期待した者の一人としても同じ思いだ。但し、先のことは分からない。来年以降、経済の複雑さが前面に出てくる可能性は小さくない。

 近年、15%を超えればヒットと言われるほど、テレビドラマの視聴率は下がっていた。そんな中、NHKでは、朝ドラマ「あまちゃん」が大好評で国民的話題となり、民放では「半沢直樹」が40%越えという驚異的な数字を記録した。どちらのドラマも共通している点は、やはり、分かり易さだ。両方とも「じぇじぇじぇ!」、「倍返しだ!」という決め台詞がある。上手い決め台詞は観る者に安心感、満足感を与える。「あまちゃん」は、明るく元気、前向きで、ドジも多いが憎めない、そして故郷を、家族を愛している。「半沢直樹」は正義感が強く圧力に屈しない、情に脆く友情を大事にし妻を信頼し愛している。いずれも視聴者の共感を得る要素満載だ。また「半沢直樹」はかつて時代劇が担っていた勧善懲悪の典型的とも言えるパターンを踏襲している。「倍返しだ!」は、「この印籠が目に入らぬか!」(水戸黄門)、「余の顔を見忘れたか!」(暴れん坊将軍)、「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」(遠山の金さん)に通じるところがある。一時期韓流ドラマがテレビ界を席巻していたが、韓流ドラマも「分かり易さ」がキーだったと言える。テレビドラマ史上最高視聴率と言われ、海外でもヒットした「おしん」も分かり易かった。

 哲学者のアドルノの警告を援用すると、こういう類のドラマは、芸術のアウラ(注)を失った通俗的な文化産業だということになる。しかしテレビドラマの本質は「(民衆の)祭り」に在る。アドルノの警告は看過できないが、ベンヤミンに倣い、こういうドラマの分かり易さを肯定的に捉える方が理に適っている。不必要に複雑で難解なドラマは視聴者の多くを置いてけぼりにする。しかし、分かり易いドラマは視聴者の全てを(肯定的であれ、否定的であれ)批評に参加させる。話題となった「あまちゃん」や「半沢直樹」はそのことを再認識させたと評価してよい。ただ、両作品とも傑作と言えるほどの出来ではなく、新しいジャンルを開いたとは言えない。来年以降再びテレビドラマが低迷する可能性は高い。
(注)「アウラ(aura)」とは、ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」で提唱した概念で、芸術作品から人が体験する畏怖や崇敬の感覚を意味する。アドルノは、アウラの喪失を否定的に捉え、現代社会において、芸術が文化産業に堕落し大衆を権力に従属化させる道具と化していると批判する。一方、ベンヤミンは、アウラの喪失を寧ろ肯定的に捉え、権力を解体し民主化を促進することに一定の効果を持つと考える。両者のどちらが正しいかという問いはあまり意味がない。現代の芸術や娯楽が持つ二面性をそれぞれこの二人の優れた思想家が異なる側面から表現したと言うべきだろう。なお、カリスマ的な人物を評価するときや、SFやアニメでしばしば登場する「オーラ」という言葉は、英語では同じ「aura」だが、ここで言う「アウラ」とは意味が違う。意味が違うから区別のために「オーラ」とは書かずに、「アウラ」と書く。

 安倍首相の言動も分かり易い。就任早々、首相は(タカの)爪を隠した。「第一次安倍内閣の失敗は、自分のしたいことと国民のして欲しいことが違っていたことによる。」と実に的確な評価をした。そして改憲を棚上げしてまずは経済へと向かった。実に賢明な策で支持率も高止まりしていた。ところが、(統計数値上は)景気が回復基調になり、参院選で圧勝するや、本来の姿が出てきた。特定秘密保護法の強行採決、韓国軍への武器貸与、靖国参拝。続々と安倍らしさが発揮されている。韓国軍への武器貸与は韓国との関係回復を目的としたものだと評されるが、そのすぐ後に靖国参拝をしたのでは何にもならない。支離滅裂という感じで、第一次安倍内閣が思い起こされる。やはり人間はなかなか変わらない。ここでも首相の言動は実に分かり易いのだが、こちらは未来に大きな禍根を残したと言わざるを得ない。さらに輪を掛けて分かり易いのが石破自民党幹事長で、「国には国民に知らせない権利がある」とか、「絶叫ばかりしているデモはテロと同じだ」とか、およそ民主制国家で重責を担う職務に就く政治家とは思えないような発言を連発したが(注)、個人としては、本音が正直に口を吐いてしまったということなのだろう。分かり易いが、善いとは到底言えない。猪瀬元東京都知事も追い詰められた人物が如何に狼狽え嘘を吐くかを白日の下に晒したという点で実に分かり易かった。だがこちらも勿論良いことではない。
(注)国民主権の国家(民主制国家)では、国の権限は国民の権利に基づく。だから、「国には、国民に知らせない権利がある」という表現は論理的に矛盾がある。「国民の生命と財産を守るために、法律の定める範囲内で、内閣は情報を秘匿することができる。但し、秘匿したことの正当性を国民が検証する仕組みがなくてはならない。」という表現が民主制国家においては正しい。

 総じて言えば、今年は、東京五輪開催決定で盛り上がったことも含めて、分かり易い色々な面でまあまあ良い年だった。また将来に明るさが見えた年だったとも言える。ただ年の後半におきた一連の出来事は、決して将来に楽観は許されないことを強く印象付けた。このことは決して忘れる訳にはいかない。

 いずれにしろ、来年は、まずは経済が安定軌道に乗ることを期待したい。「経済が全てではない」、「経済よりも正義が優先する」、「経済より環境だ」というような議論があり、いずれも尤もな意見ではあるが、今すぐにはそのような理念は実現できない。景気が良くなり、富の生産と循環が円滑にいくようになって初めて、福祉、環境、格差是正、雇用などの諸課題の解決が可能となる。豊かさは社会の公正と人々の幸福を保証するものではない。しかし、経済が右肩下がりの状況で社会的諸問題を解決することは著しく困難だと言わなくてはならない。だからこそ、経済の安定化のために、首相や自民党幹事長には、経済成長、雇用対策、社会保障、格差是正など経済面に専心し、そのために自説や持論を封印して彼らの支持者にとって分かり難い存在となっていただきたい。


(H25/12/29記)


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