☆ 成熟しない日本の民主主義 ☆

井出薫

 12月6日、特定秘密保護法案が強行採決で可決成立した。秘密とされる事項が不明確で、知る権利を守るための仕組みも整備されていない。こんなものを「国民の安全のためだ。納得しろ。」と言うのは無理がある。何より、今、なぜ法制化を急ぐ必要があるのか、なぜ継続審議にしたのでは駄目なのか説明がない。おそらく急ぐ理由が特定秘密に該当するのだろう。しかし、これでは「私は嘘吐きだ」と同じ類の滑稽なパラドックスだ。同法は1年以内に施行とされ、施行時期や具体的な手続き、組織作りが今後進められ、政令などで告知されることになる。政治家や報道関係者だけではなく、一般市民もこれから政府と自民党の動きを十分に監視する必要がある。当然、違憲審査権を活用することも選択肢になる。

 一方、法案に反対する者たちの言動にも失望した。法案のどこが問題なのか冷静かつ的確に論じる者は少なく、「戦前の暗黒時代に逆戻り」、「突然逮捕されることもありえる」などと感情的、扇情的な反対論が余りにも多かった。冷静に事態を判断し評論すべき新聞など報道機関でも、こういった扇情的な論調が目立った。確かに先に述べたとおり同法には問題が多い。しかし戦前と現在では国内外の情勢が全く異なる。一般市民の常識や感覚も戦前とは様変わりしている。危険性がないとは言えないものの、戦前のような独裁的社会に戻る可能性は薄い。自民党政権や政権を支える経済界などは、今の自由主義社会の恩恵に与っており、時計の針を戦前に戻そうと企てることにメリットはない。また、突然逮捕されるなどというカフカ的な状況も考えられない。刑事罰を科すには、「意図的であること」と「違法性の認識があること」が必須条件で、理由も分からないままいきなり逮捕されることはない。あったとしても、司法が健全に機能している限り、裁判で無罪を勝ち取り、国家賠償法に基づき損害賠償を国家に求めることができる。理由が分からないままに逮捕されるというカフカ的状況は、司法の独立、司法判断の尊重など近代立憲民主制が機能しなくなったときに初めて生じる。そしてそのような危機的な状況は特定秘密保護法の有無とは直接的には関係ない。法は内容だけではなく、その運用が問題となる。特定秘密保護法だけでカフカ的な状況が生まれる訳ではない。(ただし、特定秘密保護法の性格からそのリスクは認められる。)

 要するに、賛成派も反対派も、まともな評論、議論ができていない。これまでもいつもそうだった。護憲対改憲、自衛隊、日米安保、原発、国旗・国歌、集団的自衛権など世論を二分する重大事に、保守も革新も、政治家も報道関係者も言論人も一般市民も、いつも短絡的で感情的に行動してきた。その結果、熱しやすく冷めやすいで反対運動が長続きしない。半世紀前には反対派が多数を占めていた改憲、自衛隊、日米安保、原発が、いつの間にか誰もその理由が分からないままに、賛成多数又は賛成反対がほぼ同数に変わった。(ただし、原発については福島原発事故により再び流れが変わった)。世論が時代と共に変わることは当然だが、変わり方に問題がある。変わった理由が合理的に理解できるものならばよい。だが日本の場合、いつでも理由がはっきりしないまま何となく変わる。その結果、問題が生じても責任の所在がはっきりしない。これでは「日本には形式的な民主主義は存在するが、実効性のある健全な民主主義は存在しない。」と言われても仕方ない。

 「それは日本に限ったことではない」と言われるかもしれない。報道などで伝えられる限りでは、近隣諸国も似たような状況だし、民主と人権の先進国とされる欧米諸国でもさほど大差はないように見える。だが、たとえそれが事実だとしても、日本も同じだから良いということにはならない。少子高齢化が急速に進行し、環境問題や資源問題が深刻化して行く中、アベノミクスのような小手先の経済政策の一時的な成功などでは到底太刀打ちできない大きな壁に遭遇するときがくる。そのとき、社会が団結して問題に対処し解決するためには、合理的な討議と熟慮に基づく民主主義を確立しておかなくてはならない。十分な情報も議論もないままに問題の多い特定秘密保護法が成立したという現実とその背景にあるものを吟味し、成熟した民主主義の確立に努めていく必要がある。


(H25/12/8記)


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