☆ 科学と現代 ☆

井出薫

 火星には生物が居る確率は低いと報じられている。それは火星大気にほとんどメタンがないからだという(地球大気の1千万分の1)。「生物がいればメタンを発生し、それが大気に蓄積される」。ここで昔ならった数学を思い出して使ってみる。この命題の対偶を取ると、「メタンが大気中になければ、生物はいない」となるから、メタンがないことは生物がいないことを意味する。いやはや数学は案外、役に立つ。尤も生物がいれば必ずメタンがあるとは断言しきれないから、確率が低いという表現になっている。

 地球が生まれた頃には、大気中には酸素はなく、最初に誕生した生命体は(酸欠状態の)嫌気的環境に適応した微生物だったと考えられている。その後、代謝過程が進化し、太陽光のエネルギーを使って、原始地球にも豊富に存在した二酸化炭素から生体高分子を作り出し、その過程で酸素を放出する光合成独立栄養細菌の一種、シアノバクテリアが誕生し、それ以来海水と大気中に酸素が蓄積されるようになる。酸素という危険だが強力なエネルギー源を得て、膨大な数の生物種が共存する地球生態系が形成された。この最初の嫌気的環境で生きていた地球最古の生命体が、有機物質を分解する過程でメタンを発生するメタン生成細菌だと推測されている。メタン生成細菌は今でも健在で水田や汚泥、反芻動物の消化器官など嫌気的環境で盛んにメタンを生成している。温暖化ガスと言えば二酸化炭素が有名だが、メタンはより強力な温暖化ガスで、人間活動の拡大でメタン生成細菌が活動しやすい環境が増えメタン放出量が増大して問題となっている。

 火星には水は存在するが酸素は乏しく、そこに生物が存在するとすれば、このメタン生成細菌が有力候補になる。だから火星の大気中にメタンが存在しないことは、メタン生成細菌が存在しないことを意味し、それゆえ生物が存在しないと考えられる。

 だが、この結論に至る過程には、多数の暗黙の前提がある。まず火星に生命体が存在するとしたら、その生命体は、地球の生命体と同じように、蛋白質とDNAやRNAの遺伝物質からなり、炭素、水素、酸素、窒素、リンなどを主要な構成元素とする生命体だと前提されている。もしそうでないならば、メタンが大気中に存在する必要はない。確かに他の元素から生命体が構成されることは考えにくいのは事実だが、生命の本質と生命の誕生の謎が解明されていない現在、この前提が絶対確実だとは言えない。さらに、この前提の背景には基礎的な物理法則の普遍性と不変性が前提されている。火星でも地球でも同じ物理法則が成り立つと仮定して議論が展開される。この仮定は尤もらしいが証明されていない。勿論根拠が全くないという訳ではない。もし火星と地球で物理法則が違っていたとしたら、火星に向けて打ち上げた探査機が火星に接近し間近で観測することはできなかっただろう。なぜなら探査機は地球の物理法則に従い設計され製造されたものだからだ。火星近辺で地球と違う物理法則が成立するのであれば、探査機は想定外の方向に消え去っていただろう。だが確かに火星の写真や大気中のデータの収集に成功している。尤も有人ではないから、本当に火星に到達したのか、別のところのデータを収集しているだけではないのか、と疑うことはできる。いやたとえ有人探査機だとしても地球とは違う物理法則が成立する世界では人間の思考や感情は地球とは異なったものとなってしまうだろうから、有人でも確実に火星に到着したとは断定できない。アポロの月到着ですら疑っている人が今でもいる。

 たとえ(おそらくそうだろうが)火星と地球で同じ物理法則が成り立つとしても、最初の生命体がメタン生成細菌でなければならないということにはならない。地球での知見が、火星の生命体に援用されているのだが、その根拠はそれほど確実ではない。少なくとも物理法則の普遍性よりも信憑性は低い。さらに、本当に地球で最初あるいは生物進化のごく初期からメタン生成細菌が存在していたかどうかはまだ結論が出ていない。他の生物が先に存在して、その生物の活動に影響されて後からメタン生成細菌が登場したという可能性もある。

 このように、火星の大気中にメタンがほとんど存在しないという観測結果から、火星に生物が居る可能性が低いという結論に至るまでには多くの証明されていない仮説がたくさん介在している。そもそもメタンがほとんど存在しないという観測結果自身が現在の物理学と化学が正しいと仮定して得られた結果に過ぎない。ところが、現代人は、権威ある科学者や研究機関の発表を鵜呑みにして、良く考えずに信用する。本当は怪しいことがたくさんある。一昨年、世界で最も有名で権威がある素粒子と原子核の研究機関であるCERNの研究チームが真空中の光速よりも速いニュートリノが発見されたと発表して、大騒動になったことがあった。そのときには、ほとんどの物理学者が間違いであろうとコメントしたから(注)、一般市民も最初から疑って掛かっていた。だが、もしノーベル賞受賞者など優秀な物理学者や権威ある研究機関がこの結果を支持していたら、いまごろ書店には「人類史上最大の誤り!相対論は間違いだった!」と銘打つ本が所狭しと陳列され、その多くがベストセラーになっていただろう。そして俄か物理学者が巷に溢れていたに違いない。
(注)事実、測定装置に不具合(ケーブルの接続不良)があったことが後に判明した。

 マックス・ウェーバーや、カール・ポッパーは、現代人の合理主義とは、「世界は合理的に動いている」という信仰に過ぎないと喝破した。事実、そのとおりで、よく分からないままに火星には生物がいないと信じ、全く分からないのにニュートリノが光より速いことはないと信じている。何故信じるのか。それは権威ある科学者がそう言っているからだ。科学者の言うことは、近代以前に生きていた人々にとっての偉大なる宗教家や王や貴族の言葉よりも信頼されている。正に現代人にとって科学者の言葉は、神や仏の言葉に等しい。

 現代人の振る舞いや言葉の背景には、「権威ある科学者が言っていることは正しい。それを信じて行動すれば間違いはない。」という根拠に乏しいにも拘わらず、絶対的な支配力を有する思考の枠組みが存在する。だが、それを安易に非難したり冷笑したりすることはできない。私たち現代人の周囲にはその内部がどうなっているのか、どういうメカニズムで動いているのか想像も付かない機械や商品が溢れている。だから人々は自分で確かめることができず、ただ信じるしかない。流体力学が全く分からない者(ほとんどの者がそうだ)でも、平気な顔をして飛行機に乗っているし、車の運転をしている。科学と技術を信頼しない限り、そういうことはできない。近代以前の人々は、例えば日本でも明治時代以前の人々は、だいたいにおいて自分の周囲にある物がどんなもので、どんな風に動くか知っていた。だから壊れても自分で修理ができた。だが今やそんなことは全く不可能になっている。だからただ信じる。人類史上、現代人ほど信心深い者たちが集う時代はない。しかも信心深いことを人々は気付いていない。

 だが、この信仰が公害、原発事故、薬害、温暖化など様々な社会的問題を生み出す背景となっている。気象予報や緊急地震速報が外れると人々は憤慨して気象庁を批判するが、これもある意味で科学を盲信しているからそうなる。科学をよく知っている者は、天気予報や地震の予測がはずれても少しも慌てない。「過大な期待は禁物だ」と苦笑するだけだろう。ところが一般市民は科学に絶大なる信頼を寄せているから、予測が外れると大いに失望し、騒ぎ立てることになる。

 市場に溢れる膨大な商品の性質や動作を全て理解することは不可能だ。だから専門の科学者や技術者を信用するしかない。だが、専門家と言えど普通の人間であり、誤りを犯したり、自分や自分が所属する組織のために事実を歪曲したりすることもある。しかも専門家ですら専門分野が違えば素人に過ぎない。だから多数の学問領域を横断した学際的な知識が求められる分野では、科学者も素人と大差はない。

 これからも科学技術は発展し、産業や生活に与える影響は益々増大していく。そして身のまわりの物は一般市民の理解を超えたものとなっていく(ブラックボックス化)。だから、健全な懐疑精神を育むことが大切になる。科学や技術を盲信せず、広く意見を求め、冷静に行動し、時には専門家たちを批判する、こういう健全なる懐疑精神がこれからは益々必要となる。

 こういう健全なる懐疑精神は子どものうちに身に付けておくことが望ましい。だが大人たちがそういう精神を兼ね備えていないから子供たちに教えることができない。科学者や技術者が率先して健全なる懐疑精神を発揮してくれると良いのだが、現実には難しい。専門分野が細分化して誰一人として広い見方ができないからだ。しかも、何でもかんでも疑ったのでは、飛行機に乗ることも、車を運転することもできない。だから、懐疑するべき時と場所を的確に判断することが必要となる。それこそが健全なる懐疑精神の意味なのだが、それが実に難しいことは明らかだろう。どうしたらよいのだろう。分からない。現代は、ソクラテスの復活が待たれるときなのかもしれない。誰一人として何も知らないことを人々に知らしめ、かつ、なお人々を信頼するソクラテスが。


(H25/9/22記)


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