☆ 労働組合は不用なのか ☆

井出薫

 アベノミクスの成否は賃金が握る。賃金が上がらず物価だけが上がれば労働者は生活が苦しくなる。賃金が上がり消費が増大してインフレになるのが本来の姿だ。ところが一時的な賞与こそ上がったものの肝心の月々の給与が上がらない。これでは大胆な金融緩和も財政出動も一時的な成果に終わる。だから、安倍や麻生は精力的に経済界と会合して賃上げを要請している。

 しかし、そもそも賃上げを要求するのは誰なのか。労働者代表の労働組合だろう。ところが動きが鈍い。春闘が消滅してから久しいが、今年は、政府が2%のインフレターゲットを政策目標として掲げたのだから、当然、労働組合は2%以上の賃上げを要求し、経営側が呑まなければストライキを断行するくらいの気概で臨むべきだった。ところがストライキどころか、本気で2%以上の賃上げを要求した組合がどれだけあったのか。ほとんどないのではないか。

 日本最大の労働組合の集合体である連合は民主党を支持している。アベノミクスで景気が回復することは民主党の政権奪還にとって望ましいことではない。だから、民主党をサポートするために、わざと賃上げ要求しないのだろうか。もちろん、そんな馬鹿なことはない。賃上げを求めない背景には、労働組合が経営者と対決する自律した存在ではなくなったという現実がある。

 かつての労働運動は、社会主義を目指す総評が主導した。だがソ連・東欧共産圏の崩壊と中国の市場経済導入が象徴する通り、計画経済的な社会主義経済政策の失敗が明らかになり、総評など左翼陣営は大幅に後退する。そして労働運動の主導権は、経営と繋がる物わかりの良い思想性の乏しい連合が掌握する。労働組合は経営層との友好を重視し、ストライキなどに打って出ることはない。それどころか経営の支援すらしている。リストラには抵抗せず、非正規雇用社員の声に耳を傾けようとせず、企業の利益向上に貢献する。これが現在の組合だ。確かに業績が悪化している企業ならばやむを得ない面はある。会社が倒産すれば元も子もなくなる。ところが多大な利益を上げ内部留保が増大している企業の組合ですら、賃上げを要求しない。これでは労働組合の意義はなく、加入者が増えないのは当然だ。ユニオンシップを採用して管理者になるまでは強制的に組合員にしている企業は多いが、労働者たちは毎月給料から天引きされる組合費を恨めしく思っている。

 イデオロギー色の強い闘争的な労働組合の復活は期待できない。賃上げを望む労働者たちも、左翼的な闘争的な組合を望んでいない。維新のような自民党よりも右寄りの政党が一時的にせよ注目を集めたことから分かるとおり、労働者を含めて日本社会全体が保守化している。都議選では民主党の後退と投票率の低さから共産党が躍進したが、共産党を心から支持している者は少なく、かつての革新自治体時代の勢いが戻った訳ではない。

 このまま労働組合は形だけの存在になってしまうのだろうか。そんなことは今に始まったことではなく、ソ連・東欧の共産圏が崩壊したときからずっと続いていることだという見方もある。だが、10年くらい前まで、労働組合はそれなりに自律し、労働者の立場を代表して経営と対峙するという勢いがあった。組合は経営者にとって手ごわい存在、少なくとも無視できない存在だった。そして労働者たちも組合に対して一定の期待感を持っていた。だが、それが今や完全になくなった。ここ10年の労働組合の衰退は目を覆いたくなるものがある。皮肉にも、民主党が政権を取り、連合が政権政党を支える立場になったことが、それに輪を掛けた。

 これからは、労働組合の出番はなくなり、政権政党と経済界の話し合い(馴れ合い?)で賃上げが決まるようになるのだろうか。そうなれば、組合は労働者にとって組合費を徴収するだけの不用な存在と化す。それでよいのだろうか。

 よいはずがない。現在の経営者は、マルクスやエンゲルスが描き出したような無慈悲な資本家ではなく、労働者の生活に配慮する必要があることを理解している。しかし、それでも、資本の利潤を確保することが第一の目的であることに変わりはなく、非正規雇用の拡大などにそれが如実に現れている。正規雇用社員に対しても、政府への解雇条件の緩和要求などを通じて無言の圧力を掛け続けている。経営者が労働者の味方になることはない。資本対労働という激しい対立ではないとしても、調停できない対立は必ず残る。弱い立場の労働者を守るために、労働組合はこれからもずっと必要な存在であり続ける。組合はそのことを自覚し、体制を立て直し、経営者にとって手強い相手に戻ってもらいたい。


(H25/7/14記)


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