☆ 行政指導 ☆

井出薫

 ありがたくもないことだが、仕事柄、「行政指導」という言葉は馴染みが深い。と言うか、この言葉を聞くとドキッとする。行政活動にはいくつかの類型があるが、行政処分(行政行為と呼ばれることもある)と行政指導は最もよく知られている。

 行政処分は法律に基づく公権力の行使に当たる。逆らうことは許されず、逆らえば大抵の場合法律に基づき刑事訴訟が待っている。その代わり不服があれば法的に対抗することができる。行政不服審査法に基づき行政自身に再考を求めることもできるし、行政事件訴訟法に基づき裁判所で取り消し訴訟などを起こすこともできる。

 一方、行政指導は任意のもので、行政は明確な法律に基づく規定がなくとも、自らの責務、管轄事務に関することであれば基本的に自由に行政指導ができる。その代わり、行政指導は法的拘束力がなく、指導された相手はそれに従う義務はない。また従わなかったことを理由に不利益を与えてはいけないと法律(行政手続法)で定められている。その分、指導された側も処分の際に取ることができる行政不服審査法や行政事件訴訟法など法的手段に訴えることはできない。指導が不当だと思えば従わなければ良いからだ。

 日本の行政は諸外国と比べて、格段に行政指導が多いと言われる。行政指導には良い面と悪い面があり、一概に行政指導が多いことを以て、行政の口出しが多すぎるとか、行政と業者が馴れ合っているとは言えない。あらゆる出来事に事前に法律や関連の行政立法で備えておくことはできない。法令の規定はないが、市民の安全と権利を守るために、行政として何らかの行動を取る必要があることがある。そういう場合、法的根拠がないので行政処分をすることはできない。たとえば、今でこそストーカー行為を罰する法があるが、ない時代には、しつこく後を付けられも、実際に暴力を奮われたりして被害を受けない限り強制的にストーカー行為を取り締まることができなかった。だからと言って警察官が恐怖を感じている市民のために何もしないのではその職務を全うできない。そのときには行政指導という手法が使える。市民の安全を守るのが警察官の職務だから、被害者の訴えに対して、ストーカーに注意し、必要とあらば速やかに断固たる措置を取ることを伝え牽制することができる。それによりストーカー被害拡大の未然防止が期待できる。このように行政指導には大きな意義がある。

 しかし行政指導には数多の課題もある。法的拘束力がないことを良いことにして、行政が過剰に市民生活や私企業の活動に介入することがある。行政指導は任意だと言っても、行政指導を受けることのプレッシャーは大きい。立憲民主制の社会でも、行政の権力は強大で、実際問題として、そう簡単には指導を無視できない。行政指導されたことで、あるいは行政指導に従ったことで不利益を蒙った場合は国家賠償法により訴えることはできるが、被害を蒙るまでは我慢しないといけないし、被害を蒙っても任意であるという行政指導の性質上、裁判で勝てる見込みは少ない。

 逆の方向での問題もある。本来行政処分をすべきところで、行政指導に留めてしまうことがしばしばある。たとえば、違法な廃棄物処理をしている業者に対して、法律により改善命令を出すことができるにも拘わらず、指導に留めたために住民に被害が及ぶなどということが起きる。法律の条文は、しばしば「違反した場合は、(これこれを)命じることができる」という風に記載されている。ここで「できる」という言葉に注意が必要だ。一般的に「できる」とは「しなくともよい」ことを含意する。ここに行政側に、処分をするかしないかの裁量が生じる。その結果、住民の権利保護のために、処分をするべきところをしないで、任意の指導で済ませることが往々にして起きる。3年ほど前に、ユッケで食中毒が起き死者がでる事件があった。その後、厚生労働省は生食用の肉の処理方法について資格基準を定め、従わない者を処分できるようにした。ところが、その後も、基準に従わない料理店がありその事実を知りながら、行政処分をせず指導に留めたという事件があった。幸い食中毒は発生せず、料理店は基準に従った処理方法に変えたそうだが、一定の期間を定めて営業停止処分をするべきだったのではないかという疑問が残る。

 また、日本では行政指導が多いこととも相俟って、安全基準・環境基準が存在しても、それが強制基準(従わなければ処分される)ではなく、行政指導用の指導要綱やガイドライン(従わなくても処分されない)に留まる場合が少なくない。先に取り上げたユッケによる食中毒がその例で、実は15年前に食中毒をきっかけに行政は処理方法を定めた衛生基準を制定していた。ところがこれが強制基準ではなく、任意基準だったために、従わない者が多く、死者を出す事故に繋がった。日本の安全基準は非常に厳しいと言われることがある。しかしながら、日本の基準は数値的には厳しくても、処分に使える強制基準ではなく指導要綱的な基準が多いために、実際は基準があっても守られていない場合が少なくない。日本製品は品質が良く安全性も高いと言われるが、本当にそうなのか疑問なことが多々ある。何よりも、日本人が日本製品は安全だと信じ切っているため、チェックが掛からないことが大きな問題だと言えよう。

 無闇に処分をすればよいという訳ではなく、ソフトな行政指導から入るという日本の行政の通例が一概に悪いとは言えない。しかし日本の行政手法に課題が多いことを忘れてはならない。何より大切なことは一般市民がしっかりと行政の活動を監視することだ。行政の活動が、行政処分なのか、単なる行政指導なのか、安全基準や環境基準が、強制基準なのか任意の基準なのか、そういうところをしっかりと把握しておく必要がある。勿論そのためには報道や言論の責務が重大であることは言うまでもない。


(H25/4/14記)


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