☆ 経済は良くなるか ☆

井出薫

 金融緩和の促進と財政出動が評価され、株価が上昇している。企業の業績も上向く気配がある。アベノミクスは出だし好調というところだ。しかし、こういう状況は過去にもあった。小泉政権時代、企業業績だけを見れば日本は稀に見る好況が続いた時期となる。しかし、正社員から派遣社員への切り替えが進み、正社員の給与は思うように上がらず、経済の実態をみれば社会全体が好況だったとは言い難い。その恩恵に与ったのは大企業の経営者や資産家くらいだけだった。

 今度はどうか。ポイントは二つある。労働者の賃金が上昇すること、社会保障が充実すること、この二つだ。

 賃金が上がらない限り、国内消費は上向かず、企業は海外市場頼みになる。海外市場が主要な収入源となり、国内がインフレでコスト高になれば生産拠点の海外移転が進み産業の空洞化が進む。これを防ぐには、賃金の上昇、加えて身分保証がない非正規雇用労働者の正社員への転換が欠かせない。この点で、人件費が増えた企業には税制上の優遇措置を与えるとする安倍政権の政策は良い。なぜ市民生活を重視すると言っていた民主党が(野田だけだったのかもしれないが)ひたすら消費税に拘り、こういう政策を打たなかったのか不思議に思える。とは言え、ここにも難しい問題がある。賃金が上がると企業のコストは増える。国内消費が上向かないとコスト増を国内で吸収できなくなり企業の海外移転が加速する。さらに正社員の賃上げが、非正規雇用労働者の解雇、正社員の労働強化に繋がる恐れがある。非正規雇用労働者の正社員への転換が進むとよいのだが、果たして企業が実行するか、疑問が残る。コスト削減はいまや全産業界共通のドグマとなっており、ここからの脱却ができるかどうかが鍵となる。

 高齢化が急速に進み社会のインフラがそれに追いついていないのが日本の現状だ。これでは高齢者は勿論、筆者のように間もなく高齢者の仲間入りをする者は、消費を控える。いや控えざるを得ない。これまで通りに消費を続けていたら老後の生活が成り立たなくなる。社会保障と福祉を充実させ、いずれ老後を迎える全ての人々が安心して生活ができるようなインフラを整備しないといけない。しかし、この問題への対策は見えてこない。インフレ、景気上昇、税収増、社会保障・福祉の充実という正の循環を思い描いているのだろうが、社会保障や福祉は景気変動に左右されない安定したシステムである必要がある。この点では、安倍政権の政策には見るべきものはない。

 良くも悪くも日本は自由主義経済で、私企業の経営に政府が介入できる余地は少ない。政府が企業に賃上げを強制することはできない。社会保障や福祉を充実させるためには、大企業へ社会保障費の負担増を求めることが有効だが、要請するだけでは企業は応じない。(保険料負担率を上げるなど)法制度化することは可能だが、経済界の抵抗は半端ではないことが予想され、またそれを突っぱねても、今度は賃金抑制、正社員の非正規雇用労働者との交代などが進む恐れがある。それを阻止するために、労働基準法や派遣労働に関する法令を改正し、賃金を高止まりさせ、派遣社員との交代を阻止することはできるが、そうなると企業業績に悪影響を与えるか、企業の海外流出が進むことが懸念される。そうなると税収減になり、社会保障・福祉の原資が不足し人々の不安は増し消費は冷え込む。

 前世紀30年代の大恐慌以来、経済における政府の役割は大きくなっている。とは言え、自由主義経済では、経済の原動力はあくまでも私企業であり、政府の役割は側面支援に留まる。インフラ事業も今では通信を筆頭に民営化、自由競争が進んでいる。金融政策、財政政策などマクロ経済学的手法だけでは経済を良くすることはできない。これは自由主義経済の根源的な欠陥を示すものだとして、共産主義を目指すことは勿論理論的には考えられうる。しかし現時点では不可能だし、20世紀の経験は共産主義革命が社会を良くするという共産主義者の想定が疑わしいことを示している。従って、当分の間、(規制の度合いは別として)自由主義経済を継続するしかない。

 日本の場合、自由主義経済の足かせとなっている難題は、資源に乏しい、面積が狭いうえに山地が多く利用可能な土地が少ない、大規模地震など自然災害が多い、など変えようがない地政学的な制約を別にすると、急速な高齢化と土地価格を中心とするコスト高な経済構造だと言えよう。両者を解決する道を見つけないと、将来の展望は開けない。この二つを解決するには、生産性の向上を図るしかない。勤労者一人当たりが生み出す付加価値を高めることが、相対的な労働人口低下を補い、かつ、高齢者や児童などの社会保障と福祉を充実させる唯一の道だ。

 もちろん、それが容易でないことは分かっている。簡単に出来ることならばすでに実行されている。だが、アップルやグーグル、サムスン電子などの高い利益率を見ればわかる通り、革新的な技術、サービスを生み出すことが、生産性向上の鍵を握ることは明白だ。ところが、今の日本には革新的なアイデアを生み育て世界に普及させる環境が欠けている。なぜそうなっているのか、どうすればこの環境を変えることができるのか、これを真剣に考え、解決策を見い出すことが何よりも優先される。だが、この課題解決が安倍政権に期待できるかというと甚だ怪しい。また、そもそも自由主義経済である以上、企業経営者や一般市民たちが自由で斬新な発想と実行力を持たないとどうしようもない。政府に頼るだけでは駄目なのだ。日本人はバブル崩壊後の20年間、安全運転だけを心掛けてきた。そろそろリスクを覚悟でアクセルを踏む勇気を持つことが求められている。ただ力量不足の者がアクセルを踏むと事故が増えるだけなので、適切に教育する機構が必要となる。また有能な者が目の前で交通渋滞して先に進めないことも多い。こういった問題は、一般論では解決できず、個別具体的な課題として根気強く解決していかないといけない。こういう課題解決のための仕組みを作り上げるには相当の月日が必要となろう。だが何十年も掛かるということはない。5年とかで十分に前進は可能だ。人々がそこに目を向け、新たな歩みを始めることに期待したい。


(H25/2/9記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.