☆ 教育と研究開発に投資を〜マクロ経済政策の限界〜 ☆

井出薫

 2%のインフレターゲットを政府が導入する。教科書的にはこれで失業者は減り景気が良くなることになる。

 その理屈はこんなところだ。インフレターゲットを導入する。消費者は物価上昇を予想して積極的に商品を購入する(同じ商品が1年後は今より高くなるから)。需要が増加し、それに応え企業は生産を増大させる。生産増に伴い人員不足になり雇用は増大し、かつ人材確保のために賃金が上がる。消費は増加し景気は好転する。これにより税収は増加し財政状況も好転する。社会保障と福祉が充実し景気はさらに好況を呈する。消費の増加、好況、インフレがしばらくの間続く。

 だが、実際はこれほど上手く事は運ばない。急激に少子高齢化が進み、近い将来65歳以上の高齢者が社会の4分の1を占め、その後も比率は増大し続ける。年金はたとえインフレでも上がることはなく寧ろ下がる。従って、インフレになっても、高齢者の消費は増えない。寧ろ生活困窮者が増加し生活保護費支給額が増大する。国際競争力が後退している日本企業はインフレになっても簡単には賃金は上げない。円安と賃金の据え置きで漸く外国企業との競争が可能となる水準まで日本企業の競争力は衰えている。ちなみに、ある業界では、事業用設備が、中国製品がほぼ同一性能で日本製品の5分の1以下の価格なので、急速に中国製品への置換が進んでいると聞いた。すべての業界でそうだという訳ではないが、国際市場における日本製品の優位性が急速に後退していることは間違いない。大幅な円安にならない限り、輸出企業の苦境は続き賃金引き上げを行わない。逆に大幅な円安は原油価格の上昇を引き起こし電気料金やプラスティック製品などの値上げを招く。また輸入産業は苦しくなる。海外投資も難しくなり国際収支の悪化の要因になる可能性もある。

 インフレターゲットの導入だけでは経済の長期に亘る安定的成長は期待できない。下手をすればスタグフレーションを引き起こす。安倍は消費税増税の先送りを示唆している。これは意見の分かれるところだろう。しかしインフレターゲットの導入が想定以上に高齢者や非正規雇用社員など低所得者層に打撃を与え、景気を悪化させる危険性もあることから、消費税増税実施時期は(増税の撤回も含めて)慎重に検討する必要がある。

 しかしインフレターゲット以外にこれと言って有効な経済政策がないのも事実だ。また増税をいつまでも避けてとおる訳にも行かない(消費税増税以外の方法を考えることはできる)。つまり日本社会を将来に亘って安定させるには、マクロ経済政策だけに頼っている訳にはいかない。教育と研究開発に重点的に資金を投入し、最先端技術と知的財産権、優れたコンテンツなどを基盤として、グローバル化した経済環境下で収入を得られるようにしないとならない。かつて日本映画とテレビドラマは世界で広く受容されていた。20年ほど前にタイに出張したとき、現地のテレビ局でウルトラマンが放映されていて(かなり修正が加わっていたが)、驚いた記憶がある。ところが今では韓国ドラマに圧倒されて見る影もない。韓国のドラマがさほど面白いとは思わない。しかし、タレントの人気頼み、過去の傑作の下手なリメイク、テレビドラマシリーズを観ていない者には理解困難なテレビシリーズの結末または後日談的な映画、アメリカに遠く及ばないCGなど特撮技術に頼った映画・テレビドラマ、こんな安易なものばかりでは、韓国に圧倒されるのは無理もない。今でこそノーベル賞受賞者の数では中国、韓国を凌いでいるが、積極的に策を講じなければ10年から20年後には、毎年ノーベル賞シーズンになると「なぜ中国や韓国ばかりノーベル賞受賞者が出て、日本からは出ないのか」と日本人が嘆くことになる。

 地震など自然災害に見舞われることが多い日本で防災、減災に投資することは悪いことではない。だが、それだけでは日本の未来はない。教育と研究開発に積極的に資金を投じ人財と技術を磨く必要がある。ただ広く浅く税金をばら撒くような遣り方ではなく、社会に貢献し日本経済を長期的に強化、活性化する分野に集中的に資金を投じないとならない。またすべてを国家で遣るのではなく、税制上の優遇措置などで民間の研究開発を促し、官と民の役割分担をはっきりさせることも大切になる。商品開発やコンテンツの開発は民間の活力を重視し国家は側面支援に徹することが望ましい。国家が直接介入することは(政治的中立と人権の観点からも)避けた方がよい。教育分野では、小学校から英語教育を導入することが望まれる。さらに高校からは英語以外の外国語教育も取り入れるべきだろう。理系ばかりに偏ることは不健全だが、理系離れは回避する必要がある。また才能を持つ者への英才教育の強化も必要だ。英才競争は格差拡大や階層間隔離を引き起こす危険性があるが、「人の価値はその仕事では決まらない」とするゴーリキーのような平等思想を広く普及することでその悪影響を回避することができる。そうすれば、才能を有し富と栄誉を手にする者は、無名の労働者たちが勤労を通じて社会を支え才能を発揮する機会を与えてくれたことを感謝し、自主的に才能と富と栄誉を社会に還元するようになるだろう。

 未来を悲観する必要はない。ただ下手な政策を採用し、市民が自分勝手な行動に走れば、かつてはアジアで一番の民主的で豊かな国とされた日本はアジアの落第生になる。いまや分水嶺に差し掛かっていることを弁えたい。

(注)上に引用したゴーリキーの言葉(正確な引用ではない)は、弱者のルサンチマンであり悪趣味だ、というニーチェ的な批判があるかもしれない。確かに、その批判にも一理ある。ただ私は才能ある者たちが凡庸な者たちに平伏すことを求めているのではない。才能ある者は自らに誇りを持ってよい。ただ才能ある者が得た富と栄誉は全て自分に属するというリバタリアン的な発想は正しくない。そのことを主張するためにゴーリキーの言葉を援用させてもらった。


(H24/12/23記)


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