☆ 脱原発の道 ☆

井出薫

 福島原発の事故以来、反原発、脱原発の機運が高まっている。選挙では多くの党が脱原発を公約に掲げている。しかし、その道のりは遠い。

 筆者は若い頃、マルクスに傾倒し左翼的な思想に共鳴していたこともあり、40年以上前から反原発派だった。だが、事故発生までは反原発は少数派に留まっていた。感覚的に言って、反原発を訴えても賛同する者は5人に1人程度だったように思う。その理由の多くは、「日本は石油が出ないから原子力が必要だ」、「石油はいずれ枯渇するから原子力が必要だ」というものだった。さらに5年ほど前から「火力発電は二酸化炭素を発生させる」という意見も理由の一つに加わった。

 事故以来、反原発(脱原発を含む)が勢いづき、反原発派はむしろ多数派になった。しかし、かつて原発に賛成する者たちが指摘していた課題「日本は石油資源を欠き、石油など化石燃料はいずれ枯渇する、しかも石油など化石燃料の燃焼は二酸化炭素を発生する」という条件は変わっていない。ところが、皆、そのことを忘れたかのように、急に反原発に傾いてしまったのだから、ちょっと驚きだ。長年反原発の立場だった者には歓迎すべき状況なのだが、いまの反原発は一過性のものに過ぎないのではないかという危惧がある。

 実際、原発の完全廃止は容易ではない。原発を動かさなくても真夏でも電力は足りたというが、その理由の一つは経済が低迷していることにある。過去の経験から言って経済が活性化されると電力需要は増大する。現在の日本は、雇用状況が悪く、企業の設備投資も鈍く、明らかに不況ないしは不況に近い状況にある。そして多くの人々が経済の活性化を期待している。それに応え政府が景気対策に本腰を入れて功を奏すれば電力需要は増加すると予想される。そうなると電力需要を原発抜きで賄いきれるかどうか厳しくなる。原発ゼロ宣言をしたドイツはいざという時は世界一の原発大国であるフランスから電力を購入することが出来る。しかし、四方を海で囲まれた日本は外国から電力を購入することは難しい。

 自然エネルギー開発も容易ではない。太陽電池の効率は改善されてきたとはいえ、まだ20%程度で、しかも太陽光エネルギーは地球全体では膨大なものとなるが、単位面積当たりで言えば大した量ではなく、太陽光発電で電力需要を賄おうとすると膨大な土地が必要となり、自然破壊を引き起こす危険性が高い。総じて自然エネルギーはそれ自身がクリーンで再生可能でも、副産物として自然破壊や騒音(風力発電など)、食糧不足(バイオマスによる発電など)を引き起こし、現状では必ずしも環境や人に優しい発電方式とは言えない。また技術的にも解決すべき課題が多い。

 十分な対策を取らないと、こういった難題がいずれ現実化し、人々の目の前に晒される日が来る。そのとき、多くの者が事故を契機に原発推進から反対に鞍替えしたように、今度は逆に原発推進に戻ってしまうことが危惧される。

 それを回避するには、まず脱原発への道を法制化しておくことが必要だ。そして、省エネ技術の開発普及を加速させ、その一方で節電意識とその実行を徹底させる。それにより、好況期にも原発なしで電力需要を賄えるようにする。さもないと産業の空洞化が進む。勿論、並行して現実的で持続可能な自然エネルギー開発を進めることが欠かせない。

 だが、それでも、短期的には原発を一時的に一部稼働させることが必要になると予想される。ただ、それをあくまでも緊急避難的措置として恒常化させないことが大切だ(だからこそ法制化が必要となる)。そうしないと人々は原発容認、または原発推進に戻ってしまう。

 さらに、原発ゼロの社会を目指すには、東京を核とする首都圏一極集中、並びに東名阪など都市の膨張と地方経済の衰退という流れを逆転させる必要がある。東京にこれだけ膨大な人と物が集まっている状況が続く限り、事故のリスクはあるが原発が最も効率的で現実的だということになりかねない。

 放射性廃棄物の処理の困難性(不可能性)を考えるとき明らかに原発は維持可能なエネルギー源ではない。しかも原発は発電では化石燃料の代替となりえるが、石油の最も重要な用途の一つであるプラスティック製品をウランやプルトニウムで作ることはできない。プラスティックは原油の精製で得られるナフサから製造される。プラスティックの有用性は、現代文明において電力に次ぐもので、今や生活と産業に欠かせない。従って、たとえ放射性廃棄物処理と安全性の問題を解決できたとしても、原発だけで文明を維持することはできない。これらのことを考え合わせると、脱原発は不可避の結論だと言わなくてはならない。
(注)プラスティックの問題は、原発の廃止だけではなく、石油消費の削減、新技術開発が不可欠であることを示している。

 いずれにしろ、反原発には賛成だが、多くの課題があることをきちんと認識することが必要になる。情緒的に反原発、脱原発を唱えるだけでは、いずれ行き詰まり、脱原発が原発容認へと簡単に転換してしまう。それゆえ課題の困難さを良く認識したうえで、知恵を絞って脱原発を実現しなくてはならないことを銘記しておきたい。


(H24/12/16記)


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