井出薫
選挙がいつになるかは分からないが、民主党が衆院第一党から転落することは確実な情勢だ。田中法相の不祥事と後処理の不手際など、この党がすでに国政に責任を有する組織としては完全に失格であることを示している。3年前、期待を持って迎えられた民主党政権のどこに問題があったのだろうか。3つの「不在」に集約できるだろう。 第一番目として、党を取り纏めるリーダーの不在が挙げられる。小沢は力のある政治家かもしれないが、独善的で、様々な意見と経歴の持ち主の寄り合い所帯である民主党を取り纏めるのに相応しい人物ではなかった。しかし他にリーダーはおらず、小沢が党を去ってもなお一向に党が纏まらないことがそれを象徴している。党が纏まり内閣を支えない限り政治は機能しない。 二番目は理念の不在。自民党批判だけで、党員が共有する理念が欠けていた。その結果、マニフェストと政権奪取直後の政策はバラ色、ばら撒きの一辺倒で、すぐに現実の壁にぶつかり、さらに官僚の抵抗と米国の警告を前にして、ほとんどの公約を放棄するに至る。野田政権に至っては自民党の政策と何ら変わるところがなく、国民の失望を決定的なものにした。 危機管理体制の不在。自民党時代も大臣の不祥事は相次いだ。しかし、自民党は、不祥事を起こした後はそれなりに適切な処理をして大体において同じ非難を受けることを回避した。ところが民主党は何度も同じ失敗を繰り返した。不適材・不適所の登用で世論の批判を浴び続けてきたのに、ここにきて法相にその任に最も相応しくない人物を登用した。正直呆れて物も言えない。 これだけ肝心なものが「不在」では政権運営など上手くいくはずがない。 民主党政権の何もかもが駄目だったという訳ではない。中途半端に終わったが公開での事業仕訳は意義があった。頓挫したが「こども手当」も少子化対策、景気対策として良い政策だった。脱原発への取り組みもとりあえずの第一歩としてはそれなりに評価してよい。鳩山、菅、野田、いずれも改革への意欲は窺えた。だが、政権誕生から3年という月日を考えるとあまりにも成果が乏しい。60年代都市部では革新自治体が続々と誕生した。70年代から80年代に掛けて、革新自治体は、中央政界や国家官僚の支援を受けた保守派に地位を奪還されたが、それまでの間、公害対策、生活環境の改善、市民と行政の対話促進など多くの足跡を残した。その影響は保守が一貫して支配してきた中央政界にも反映され、現代でもその改革は意義を保っている。それと比較すると民主党政権の成果はないに等しい。60年代、70年代と比較して経済が低迷し巨額の財政赤字を抱えているという逆境を考慮しても落第点しか与えられない。 戦後初めての本格的な政権交代は間もなく幕を下ろす。私たちは、民主党の失敗から何かを学ばなくてはならない。さもないと政治はこの先も益々劣化していく。政治は三流でも経済は一流と言われた時代は過ぎ去った。これからは、政治の力で経済を改善していかなければならない。それなのに政治が劣化してはどうしようもない。3つの不在を克服し、現実と対峙する力量を持つ政党を生み出すことができるか。それが鍵を握る。 了
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