☆ 人間は自然の一部〜防災の日に思う ☆

井出薫

 9月1日は防災の日。各地で防災訓練が行われている。住民の防災意識を高めることで、災害時の被害を小さくできるから訓練の意義は大きい。

 しかし最近首を傾げたくなることも多い。今年1月に、4年以内に70%の確率で首都圏直下型地震が起きると報じられた。つい先日は、マグニチュード9.1の南海トラフ地震が発生し32万人の死者がでる可能性があると中央防災会議が発表、新聞各社は一面トップで大きく報じた。しかし、4年以内70%、マグニチュード9.1、死者32万人、いずれの数字も大した根拠はない。専門家の評価とは言え、その評価手法をみれば素人考えとほとんど違いはない。巨大地震のメカニズムは分かっていない。分かったとしても複雑系システムである地球では、現時点のシステムの状態に関するデータを完璧に収集することができたとしても、未来を正確に予測することはできない。しかも完璧なデータ収集は技術的に不可能で、完璧どころか大雑把な定性的なデータを得ることすら現在の技術では難しい。いつ、どこで、どの程度の規模の地震が起きるかは全く分からないというのが現実なのだ。だから何もしないでもよいということではない。ただ不安を煽るようなことはしない方が良い。勘ぐれば、次の選挙で政権復帰を期す議員たちが「災害に強い国土」を錦の御旗に予算の獲得、ばら撒きを目論んで、煽らせているのではないかとも疑いたくなる。

 人間は自然を超越した存在ではなく、自然の一部だ。天変地異が起きれば大きな被害を蒙ることは避けられない。マグニチュード9.1の地震に備えても、マグニチュード9.1を遥かに超える地震が起きないという保証はない。マグニチュード10を超える地震は記録にはないが、地球物理学的に10を超える地震は起きないという証明があるわけではない。恐竜は巨大隕石の衝突とそれによる環境激変により滅んだとする説が有力だが、巨大隕石が地球に衝突して人類文明が崩壊する可能性だってある。核兵器で隕石を破壊して被害を免れることができるという意見もあるが怪しい。直径10キロメートルの巨大隕石が毎秒数十キロメートルの速度で飛来して防げるとは思えない。衝突は避けられも、破片が大気中に飛び散り環境が激変することは免れない。地球の衛星である月は、原始地球に火星規模の天体が衝突してできたとされるが(ジャイアントインパクト説)、そんな天体が飛来したら防ぎようがない。90%の致死率の超強毒性パンデミックで日本の人口の半分が死亡することだってありえる。もちろん、このような超巨大な災厄は滅多に起こるものではなく、このような事象の発生可能性は防災の意義を否定するものではない。自然災害の被害を小さくするために、日ごろから防災意識を高め、備えをしておくことが重要であることに変わりはない。だが、防災には限界があることも弁えておく必要がある。さもないと、莫大な資金と労力を掛けて無駄な物を作り却って環境を悪くしたなどということが起こりかねない。

 人間が自然の一部である以上、自然の驚異の前には屈するしかない。防災には限界がある。しかし、その一方で、戦争、テロ、様々な肉体的精神的な暴力、貧困、原発事故など科学技術の濫用による事故、劣悪な環境下での労働災害や感染症の蔓延、環境破壊など人為的な災害は人間の手で防ぐことが出来るし、防ぐ努力をしなくてはならない。だが現状ではその取り組みは全く不十分と言わなくてはならない。防災の日に自然災害への備えをすることは大変に良いことだが、それでも、もっと優先的に取り組むべきことがたくさんある。そのことを肝に銘じておきたい。


(H24/9/1記)


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