☆ 拡がる格差 ☆

井出薫

 よく行く書店のホームページを閲覧していたら採用情報が掲載されていた。長期アルバイト、学生不可、週4日、交替制で1日8時間30分勤務、時給930円。ざっと計算すると月額13万4千円、年で160万円程度になる。仕事はレジ接客と商品管理だ。

 週4日勤務だから、他のところでも働くことはできる。しかしそれでも年収は200万円程度だろう。これでは生活は楽ではない。

 レジの接客は見た目ほど簡単ではなくノウハウが必要になる。8時間半、立ち通しは身体的にもかなりきつい。大型書店になれば扱う書籍・雑誌の点数も増え、豊富な知識が必要になる。それでも年間200万円に達しない。卒業後60歳定年まで勤務した正社員が年200万以上の厚生年金を受給するのと比較しても少ない。若年層の不満が溜まっていると報じられているが、それは理解できるし、事実、真面目に働いている店員たちの姿を目にするとき現行の社会制度に不備があることを認めない訳にはいかない。

 一方で、成功したベンチャー起業家、大資産家、スポーツ・芸能関係の人気者などの収入は増加している。大企業の経営層の報酬も、米国並みとは言わないまでも年々増大の傾向にある。間違いなく格差は広がっている。

 一番収入の低い者と一番高い者との間の差はどこまで許容できるのだろうか。筆者の個人的な感覚とすれば、目安として数十倍が限度と考える。200万以下で週40時間働く労働者がいるならば上限は5000万円程度だ。理由は簡単だ。(幸運や周囲の協力を割り引いた)社会への貢献度の差が、それ以上にあるとは考えられないからだ。スポーツ選手の才能と鍛錬は称賛に値する。しかしスポーツ選手が稼ぐことが出来るのは、社会が平和で安定しているからだ。しかもどんなに才能があっても、自分の才能に相応しいスポーツに人気がなければ稼ぐことはできない。野球がアメリカと日本で人気がなければ、イチローやダルビッシュはサラリーマンになるか体育教師になるしかなかった。彼らが卓越した運動能力を持っているとしても、競技ごとに必要とされる能力は異なり、二人がサッカーで世界的なプレイヤーになれたとは思えない。しかもどんなに才能に恵まれていても周囲のたくさんの者の協力があってこそ一流になれる。一人でトップに立てる者などいない。ベンチャー起業家、芸能人、芸術家などでも少しも事情は変わらない。幸運と周囲の協力、これがあってこそ才能と努力が活きる。そもそも生まれた時からそんなに大きな才能の違いがあるわけではない。才能が伸びたのも運と周囲の協力によるところが大きい。それらを割り引けば精々数十倍の差が限度だ。いや、本当のところは数倍が限度だと考えている。ただ余りに格差が小さくなると活力が失われるから数十倍という数字を標榜している。

 日本は、他国と比較して多くの点で後れを取っているが、治安秩序は世界でも一番良いと言われてきた。しかし長時間労働しても満足な収入が得られない者が増大し、その一方で富裕層の所得と資産が増大する傾向が続けば、治安秩序の維持が困難になってくる。そうなれば富裕層だって枕を高くして眠ることが出来なくなる。今の日本にとって格差是正こそが最大かつ喫緊の課題なのだ。

 増税論議では、もっぱら消費税増税にスポットが当たり、所得税・資産税増税はほとんどまともに議論されなかった。経済への悪影響が懸念されるというのがその理由だ。しかし、自由市場の下、所得・資産格差の是正が困難なのであれば、所得税・資産税の増税で富の再分配を強力に図る必要がある。さもないと社会の平和が維持できず混乱の中で経済も沈没する。経済が沈没すれば消費税増税など何の意味もなくなる。貧困対策で消費税を丸ごと増大した低所得者層に還付するしかなくなるからだ。

 野田首相は嫌な仕事から逃げずに、真摯に課題と取り組んでいると思うが、現状に対する洞察と構想力に欠ける。財務省の論理は部分的には合理的ではあるが、それだけでは社会は改善せず却って駄目になる。小手先のテクニックによる財政健全化よりも、格差是正、(環境、安心安全や教育機会などを含む広義の)富の再分配こそ第一の課題であることを認識してもらいたい。


(H24/7/14記)


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