井出薫
迷惑メールも慣れてくるとどうということはない。有料だが、プロバイダーに頼めば自動で迷惑メールを選別し破棄してくれる。プロバイダーのサービスを利用しなくても、メールソフトやウィルスチェックソフトで自動的に迷惑メールを振り分けて別のフォルダーに仕舞い込んでくれる。 そうは言っても、毎日膨大な数の迷惑メールがネットを飛び交っていることを思うと、暗い気持ちになる。以前からチラシが郵便受けに満杯になり迷惑することがよくあった。それでも人手で運搬するから限度があった。大した数ではないので、暇なときには、無駄な情報や怪しい情報でも眺めて楽しむこともできた。知らない間にリンクをクリックして詐欺に会う心配もなかった。しかしネットの発達で迷惑メールは指数関数的に増大し、もはや目を通すことはできず、ただ捨てるしかない。しかも下手にクリックすると身に覚えがない請求をされたり、ウィルス感染したりするから始末が悪い。 もっと厳しく取り締まれという声もあるが、世界中が繋がっているインターネットでは限界がある。世界が一つになって取り締まらないと効果がないからだ。しかも、たとえ国際協力が進んだとしても、国家権力がネットに介入することは望ましくない。今でも、プロバイダーが提供する迷惑メール対策サービスには、通信の秘密に抵触するのではないかとの疑念がある。欲しくもないメールのタイトルなどを人手ではなく機械的にチェックするだけならば別に問題ないとは思うが、本当に機械的なチェックだけなのか、チェックして破棄したはずのメールがどこか別のサーバに送られ、それをプロバイダーの経営者又は国家権力が密かにチェックしている恐れはないのか、送り手も受け手も知る術がない。いや、検閲はネットワーク上のどこでもその気になればできてしまう。 メールの暗号化、認証、さらには量子論の応用など様々な手法で、メールの盗聴や改竄を防ぐことはできるが、端末やネットの負荷が大きくなり、ネットワーク全体の能率が落ちる。ネットワークがダウンする恐れだってある。しかも今度は迷惑メール対策が出来なくなる。 インターネットとモバイルの普及で、現代社会は、プライバシーを重視すると国家権力の肥大化を招き、国家権力の介入を徹底排除するとプライバシーの侵害が防げない、というジレンマに陥っている。もちろん、こういったジレンマは以前から存在した。だがそれが今ほど深刻化したことはない。 ネットやモバイルがない時代を懐かしむ者は少なくないが、現代のライフスタイルと産業構造を考えると後戻りは難しい。寧ろその利用は拡大していくと考えないといけない。だからこそ、今のうちに、ネットの活用方法と適切な規制の在り方を真摯に検討しておく必要がある。さもないと私たちは生活の隅々までネットに支配され監視されることになるか、ネットで精神的な暴力に晒されることになる。 了
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