☆ 半世紀前 ☆

井出薫

 半世紀前の資料(新聞、書籍、雑誌)を色々と漁ってみた。半世紀前の未来像はどのようなものだったか興味があったからだ。

 週休3日という記事があった。ロボット技術が進歩し経済が成長することで、人々は週4日働けば十分生活できるようになるという予想だった。当時はまだ週休1日、土曜日半日勤務が普通だったので、随分と先走った話しだが、当時はそういう楽観的な予測が案外多かった。

 電力は化石燃料に代わり核分裂を利用する原子力発電が主流となる。しかし核分裂を利用する原子力発電は繋ぎの技術で、最終的には核融合を利用する核融合発電に取って代わられる。核融合発電は重水を利用するので資源は無尽蔵、原子力発電のように放射性物質の取り扱いに苦労することもない。では実用化の時期はいつか。50年後と予測されている。正に今がそのときなのだが、実現の見通しは立っていない。未だに50年後という文言が残り、不可能だという意見も増えている。

 社会体制、世界の情勢はどうなっているか。楽観論、悲観論、革新、保守、様々でさすがに意見が大きく分かれる。特徴的なことは、世界的な共産主義革命実現を予測する評論が少なくないことだ。それもマルクス主義者の出版物だけではなく、一般紙にもそういう評論が掲載されている。共産主義が世界的に巨大な勢力を誇示した時代だけのことはある。今でも共産主義は一定の勢力を保ち、中国では政治的には共産党の一党独裁体制が続いている。しかしながら、世界革命を予測する者は激減した。旧左翼の多くが資本主義批判としてマルクス「資本論」の意義を認めつつも、共産主義革命は現実的な選択肢ではないと考えるようになった。斯く言う筆者も若い頃はマルクスに共鳴していた一人だが、やはり同じような見解に至っている。

 共産主義革命は理想の実現(=あらゆる社会的問題の解決)という色彩が強かったから、今から見ると半世紀前は随分と楽観的だったことが分かる。高度成長期の明るい雰囲気がそこには反映されている。またコンピュータ、人工衛星などの出現もあり、科学技術の未来に対して楽観的な考えが世界的に広まった時代でもあった。

 半世紀前の日本が理想的な状態だった訳ではない。環境汚染は深刻化し、東京は毎年夏場になると光化学スモッグに悩まされた。過激派の活動が強まり交番や企業の爆破など暴力行動が多発した。ベトナム戦争は泥沼化し、東西の緊張は高まり、核戦争の恐怖が広がった。明るさはあったが、現在より遥かに困難な課題を抱えていた時代でもあった。だからこそ世界的な共産主義革命に期待が集まったとも言える。

 環境汚染は今でも残るが、規制の強化、技術革新、人々の環境意識の高まりにより、多くの課題に前進があった。一旦破壊した自然は完全には復元しないが、それでも都会の空や水の環境は改善した。共産主義革命は実現しなかったが、人権問題や平和問題で多くの進展があった。核融合は実現の見通しが立たないが、半世紀前は予想もできなかった情報技術の進歩で人々の生活は快適になっている。

 こうして見ていくと、多くの楽観的な予測が外れたが、その代わりに期待以上に良くなった分野もあり、歴史が悪い方向に動いたとは言えない。

 しかしながら、半世紀前の未来像と現実を照らし合わせるとき、進歩がなかった、いや、寧ろ後退した分野が存在することに気が付く。労働条件の問題だ。週休3日など今では考える者すらいない。見掛けの労働時間は減少したが、多くの者が業務用携帯電話を持たされ実質的に24時間即応体制を要求されている。非正規労働が常態化し雇用が不安定になり、格差が拡大した。共産主義の後退で、こういう現実に抗う者が激減し改善が期待できない。

 だが、逆に、ここにこそ、未来を切り開く鍵があると見ることができる。実質的な労働時間を大幅に削減し余暇を増やせば、雇用情勢は改善し、新しい産業の育成が期待できる。費用削減とスピード重視ばかりの泥縄式経営から、創造的な経営も可能となる。労働条件の改善は回りまわって、企業の利益に繋がる。かつて抗議する左翼や労働運動への対抗策として、政府や企業経営者は労働条件の改善を約束し実行してきた。それは当事者にとっては一つの方便にすぎなかったかもしれない。だが、意識せずともそれが結果的には経営や財政にプラスに働いた。それが社会の活性化に繋がっていたからだ。

 半世紀経てば国内外の環境は大きく変わる。半世紀前の理想や現実を、今の日本にそのまま適用できる訳ではない。だが、社会の目標が人々の生活の改善にあることは今も半世紀前も変わらない。それを考えれば、週休3日が視野に入っていた半世紀前の楽観的な予測とその時代の雰囲気に学ぶべき点があることに気が付く。労働条件の改善だけで全てが解決する訳ではないが、それが極めて重要な要件であることを思い出す必要がある。それを思い出せば、これから半世紀後の未来も明るいものとなる。


(H24/3/19記)


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