井出薫
公的年金の原資が細っている。高齢化が進み支払い額は増大。一方で景気が不安定で運用もままならない。多くは望めないのが現状だ。健康保険制度もこの先維持が容易ではない。 5年間の定年再雇用の義務化が提案されているが、企業からの反発は強い。労働者の立場から言っても微妙な問題だ。義務化に伴い、退職金や企業年金の減額や支給開始年齢の引き上げなどが予想され、長い目で見て本当に働く者の利益に繋がるか疑問だからだ。 もうすぐ57だが、若い頃想像していたよりも身体はまだ若く体力も残っている。医師の厄介になることが多く身体剛健にはほど遠い私でもこの程度なのだから、60過ぎてもほとんどの者がばりばり働くことができる。ただ企業からすると、高齢者の雇用を維持することは新卒採用の阻害要因になり、また、再雇用時に大幅な賃金引き下げをしないと、コストパフォーマンスが悪くなる。実際、多くの企業の再雇用制度では、賃金は定年前の半額以下になる。それでも子どもが成人しておらず養育費が嵩む者などは再雇用を選択している。しかし、勤労意欲の低下は否めず、周囲の若年層からすると再雇用者は扱い難い存在で職場環境的にも好ましいとは言えない。 再雇用を義務化することが望ましいかどうかは別にして、多くの者が指摘する通り、60過ぎの者が働くのに相応しい職場を作り出すことが不可欠だ。ただ形式的に再雇用を義務化しても問題解決にはならず、公的年金の支給額減額、支給開始年齢の引き上げを正当化する材料に終わる。 高齢者は、流動性知能(計算能力や記憶力)は衰えるが、結晶性知能(判断力や創造力)は寧ろ若い時より高くなるという研究がある。個人的にも経験を積んだ分、若い時と比べて的確な判断ができるようになったと感じる。創造性も、天才科学者や芸術家の閃きという点では若者に太刀打ちできないが、総合的な構想力などは寧ろ上がっている。これも経験が物を言うからだ。多くの文学者や哲学者が晩年に最高傑作をものにしていることも、これを裏付けている。 課題は、こういう高齢者の能力を活かす場をどのように創設するかだ。結晶性知能は経営、政治、企画、組織の指導に役立つ。だが椅子は少ないし、若者の閃きがないと大胆な改革が出来ないことを考えると、経営や政治に高齢者ばかりでは都合が悪い。事実、その弊害が日本で大きいことは言うまでもない。 すぐに解答を見つけることはできない。ただ形式的な保障制度ではなく、高齢者の特性に合わせた職場を作り出すことで、自然に高齢者が職業に就き、社会に貢献しながら自らの生活を維持できる環境が何よりも望ましい。誰もが高齢を迎えるのだから、各年齢層が協力して道を見いだすことができるはずだ。年齢に関わりなく、皆が楽しく働き、楽しく生活する時代が来ることを切に望みたい。 了
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