☆ 技術の問題、善悪の問題 ☆

井出薫

 原子力発電は子孫への犯罪だなどという議論がある。筆者も若い頃は原発推進派をそういう風に批判したものだった。しかし、原発は善悪の問題ではなく、(目的達成の方法の選択という意味での)技術の問題と考えるべきだ。

 核兵器は善悪の問題になる。核兵器は絶大な破壊力を持ち安全保障のための抑止力としては優れている。安全性やテロの脅威から守るために様々な措置が必要となるという欠点を考慮しても、技術的な観点からは優れた選択肢とみなすことができる。核兵器保有国が核廃絶に踏み切れないこと、米国からの干渉を怖れる北朝鮮政権が核兵器開発に走るのも技術的な観点からすれば理解できなくはない。しかし、たとえ技術的に優れているとしても、核エネルギーを兵器として利用することは倫理的に容認できない。核兵器はどんなに攻撃対象を絞り込んでも、厖大な数の民間人の生命を奪い、一命を取り留めても被爆で生涯苦しむことになる者を多数生み出す。しかも自然環境へ長期的かつ甚大な影響を与える。そもそも核兵器の背景には、世界の多くの国や地域で戦争が未だに外交手段として容認されているという現実、同じくテロが至る所で目的達成の手段として利用されているという悲しい現実がある。ここに核兵器という手段を持ち込むことは、たとえそれが戦争の抑止に貢献するとしても、善悪という観点から到底容認することはできない。そもそも、戦争やテロという行為自体が善悪の判断の対象になる。目的そのものが善悪の問題になるから、手段も当然のことながら善悪の問題になる。特に核兵器は余りにも強力であるが故に善悪の判断対象から排除することは到底できない。

 一方、原発は、エネルギー確保の有力な手段の一つだ。エネルギー確保が人類文明にとって欠かせない普遍的な課題であり、そのための適当な技術の探究はいずれの社会においても最重要な課題になる。その探究の範囲から、善悪の判断により原発を排除すべき理由は見当たらない。原発は人を殺したり、自然環境を破壊したりすることを目的とするものではなく、必然的にそういう帰結を生み出すという根拠もない。また非人道的と断定する理由もない。原発の是非は、技術的な問題として、安全性、持続可能性、自然環境への負荷、費用など総合的な観点から判断すべきものだ。筆者は、正しく、この技術的な問題として、原発は長期的に持続可能ではなく、安全性、自然への負荷、費用面のいずれからも、長期的には廃止するべきものだと判断する。経済の安定のために、短期的には原発を維持するとしても、長期的には廃絶が不可欠と考える。だが、これは技術的な判断であり、倫理的な断罪ではない。だから技術進歩により、この判断を修正する必要が生じる可能性はある(筆者はその可能性はないと考えるが)。

 税金の問題も同じ性質を持つ。間接税か直接税かという選択は善悪の問題ではなく、やはり一般論的に技術の問題となる。勿論、税金が、端から不公正なもの、たとえば富者や権力者を利し、その一方で社会的に恵まれない者に過大な負担を強い、なおかつ、それに見合う福祉や社会的支援をもたらさないのであれば、たとえその税制が経済発展に有益だとしても、善悪の問題として拒否することが正しい。しかし、福祉や教育、公衆衛生の充実を目的とした税体系の整備を考えるのであれば、たとえば直接税か間接税かという論争は技術的な問題となる。公平性、増税の社会各層への影響と対策、徴収の確実性、徴収に要する費用、こういった様々な論点から、どのような税体系が好ましいかを総合的に判断することが大事であり、無闇に善悪の判断を持ち込んで、特定の税制を否定するべきではない。平等を優先するか経済成長を優先するか、こういう問題であれば、それは善悪の問題、倫理的判断の問題となる。だが税制の選択は本質的に技術的な問題とみなすべきだ。

 社会には様々な課題がある。その中には善悪の問題として捉えるべきものがあり、技術の問題として捉えるべきものがある。勿論分類が困難な課題もある。革命は善悪の問題でもあり、技術的な問題でもある。死刑制度の是非も、善悪の問題でもあり、技術的な問題でもある。しかし、原発や税制、教育改革、遺伝子科学の活用などは、本質的に技術的問題として捉え、可能な限り、感情的、イデオロギー的な議論を抑制することが望ましい。ハイデガーとその後継者とも言うべき多くのポストモダニストたちにより、倫理の問題と技術の問題は不可分だとする思想が20世紀後半から世界に広がった。その背景には科学技術とその活用による産業の拡大への疑念や反感が潜んでいる。そして疑念や反感は決して根拠のないものではない。批判には一定の根拠があり、科学者や技術者、産業界がそれに適切な回答を与えることができないでいるのも事実で、日本人も東日本大震災と福島原発事故でそれを痛感した。しかし、それでも、善悪つまり倫理の問題と、技術の問題は一線を画する。両者をやたら混同したり、端から分離不可能と断定したりしたら、社会的な課題のほとんどは適当な解決策を見いだせないままになってしまう。なぜなら善悪の判断はけっして一つに収斂することはないからだ。そして、冷静に事態を観察すれば、多くの課題はどちらの領域に属するかを判別することができる。勿論、そのためには、私たちが正しく事物を判断する能力を身につける必要がある。原発は核兵器を、消費税は労働搾取を連想させる。しかし、(技術面で共通性があり技術の移転が可能であるのは事実だが)原発は核兵器とは異なり、消費税は労働搾取の仕組みではない。慎重に考えればこのことは理解できる。冷静になり、良く考えることで、正しい道が開けてくる。


(H23/10/16記)


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