☆ 面白い野球と勝つ野球 ☆

井出薫

 9月22日、中日監督の落合の退団が突然発表された。7年間で3度のリーグ制覇、1度の日本一、今年リーグ制覇と日本一を成し遂げれば8年間で4度の優勝、2度の日本一という輝かしい成績になる。V9当時の巨人は別格として、抜群の成績と言える。少なくとも中日ドラゴンズ史上最高の成績であることは間違いない。そして、落合が現役監督の中で最高、稀代の名監督であることも異論はあるまい。それなのに本人の意思に反して退団が決まった。何故なのか。

 理由は、「勝利至上主義で野球が面白くない。良い成績を収めながらも観客動員数が伸び悩んでいる。」ということにあるらしい。この話しを聞いてすぐに思い出したのが、やはり稀代の名監督である野村克也と森祇晶だった。野村はヤクルトで在任9年、4度のリーグ制覇と3度の日本一、森に至っては西武在任9年で8度のリーグ制覇、6度の日本一と、川上巨人以降最強のチームを作り上げた。ところが二人とも同じ理由「面白くない」で切られている。

 事実、野村も森も良い成績を収めながらも晩年は観客動員数が減った。落合も同じらしい。確かに面白くないと言えなくもない。ヤクルトファンとして、野村監督には、最初の頃こそ、強くしてくれたことで大いに感謝をしたものだが、年々、勝利の確率それも年間での勝利の確率を最大化することを至上命題とする野球に物足らないものを感じるようになった。

 伊藤智仁、ヤクルトファンなら決して忘れられない投手、ルーズショルダーの故に活躍した期間が極めて短くトータルの成績は取るに足らないがその記憶は鮮烈だ。筆者を含め多くのヤクルトファンがヤクルト史上最高の投手だと言う。古田敦也も最高の投手は伊藤智仁だと断言する。スピンの掛かったホップするような快速球、そして何より高速スライダーの凄さは並ぶ者がいない。ヤクルトファンだからそう思うだけかもしれないが、松坂や岩瀬のそれよりも遥かに凄かった。その伊藤のピッチングの中でも、いつまでも忘れられないのが、金沢球場の巨人戦だ。伊藤は9回裏2アウトまで、当時のセリーグの最多奪三振記録に並ぶ16奪三振を奪い強力巨人打線を0点に抑えていた。だが伊藤は篠塚にサヨナラホームランを打たれ0対1で敗れた。グラブを投げ捨て悔しさを露わにする伊藤智仁、彼の気持ちが痛いほど分かる。思わずこちらも悔し涙がでた。しかし、これこそが野球の醍醐味だ。負けたのは悔しいが、それでもこういう試合が観られるのであれば、何度でも球場に足を運んで応援しようという気になる。しかし、勝利優先で、次々と優秀なリリーフ投手陣を継ぎ込んで確実に勝つ、この森、野村、落合の賢い野球は確かに高い勝率を生みだすが、伊藤が作った美学、勝者の美学を凌ぐ敗者の美学を生むことはない。(因みに、野村ヤクルトは高津が一人前になるまでは優秀なストッパーがおらず、結果的に伊藤を続投させることになった。)そして最高の芸術が悲劇であるように、敗者の美学こそ最高なのだ。長嶋が引退した年、巨人はV10を逃した。だからこそ長嶋の引退試合と最後の挨拶は観る者を魅了した。どんな強者や賢者も最後は敗れ去る。その現実を昇華し美学にまで高めたのがプロスポーツだ。その醍醐味を長嶋や伊藤智仁は魅せてくれたのだ。

 最近の野球がいささかつまらなく感じる理由が分かった。各球団ともリリーフ陣が整備され、終盤の大逆転がなくなったからだ。かつて野球は、下駄をはくまで分からない、筋書きがないドラマと言われた。しかし今は7回までのスコアで結末が分かるドラマになってしまった。水戸黄門の世界だ。そして、そういう野球を確立するのに重要な役割を担ったのが、森、野村、落合だった。だから強いが面白くないと言うのも一理ある。

 しかし監督に面白い野球を求めることには無理がある。監督は強いチームを作り、勝利の確率を最高にすることが仕事だ。実際、森の野球は詰らないと言って森を切った西武はその後成績が急落し観客動員数が回復することはなく寧ろ益々低下した。落合は「勝つことが最大のファンサービスだ」と言った。さきほどの伊藤の話しでも分かる通り、これは必ずしも真実ではない。しかし、感動を作り出すのは選手であり監督ではない。監督に面白さを求めても無理で、そんなことをしたら弱くなり観客離れを加速するだけだ。監督は勝つことでファンに喜んでもらうしかない。観客を喜ばす才能を持つ華のある選手を集め・育て、楽しい演出をするのは監督ではなく球団の仕事だ。そこまで監督に求めるのは無理なのだ。ヤクルト球団は、4年前、ラミレスが5年契約を求めたのを嫌い巨人に放出した。ラミレスという陽気で観客を喜ばす才覚を持つ選手を放出するということがどういう意味を持つのか、ただ戦力の問題だけではなく集客能力に大きな影響を及ぼすことを当時の球団経営陣は知らなかった。こんな球団経営者では観客動員数が減るのは当然だ。そして、それは球団の責任なのだ。

 落合も同じだ。観客動員数が減っているのであれば、それは落合の責任ではなく球団の責任で、それを理由に解任するのは筋違いだ。解任ではなく8年も遣ったのだから後任にということであれば、シーズンの最初からそう告げておくべきだった。

 とは言え、面白い野球と勝つ野球を両立させることは確かに難しい。面白さを追求すると負ける確率が増加する。勝つことを追及すると面白さが薄れる。常勝川上巨人はやはり詰らないと言われた。実際、川上から長嶋に監督が交代し巨人は弱体化したが、寧ろ、プロ野球人気は高まった。巨人自体も人気があがった。だからこそ長嶋解任劇で読売新聞は世間から集中砲火を浴びたのだった。

 関東地方で、地上波でのプロ野球中継が姿を消してから久しい。多くの家庭でBSも視聴するようになったので、BSやCSで放送されればそれで良いと言う者もいる。それに関西、北海道、九州などではプロ野球のテレビ放送は健闘していると言われている。しかし全体として視聴率が低迷している現実は否定できない。ヤクルトはここ数年徐々に強くなっている感じはあるが、池山がぶんぶん丸として人気を集めた時代の楽しさがない。古田が去り、ラミレスが巨人に移籍し、伊藤智仁に匹敵するような投手もいない現在、優勝争いをしているにも拘わらず今一つ乗っていけない。「まあ最後は結局中日か巨人だろう」という冷めた気持がそこにある。

 いずれにしろ、退団が撤回できないのであれば、落合には別の球団で監督として活躍してほしい。古巣のロッテ、連続最下位の横浜など、今年低迷し監督交代が噂されているチームの監督になれないものだろうか。物の見事に最下位から優勝、日本一になって中日を見返したら素晴らしい。一方で各球団は面白い野球をみせるのは自分たちの責任だということを良く理解してもらいたい。詰らないから監督を変えるなどという馬鹿な話しはないのだから。


(H23/9/23記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.