井出薫
民主党代表選が低調だ。民主党政権の下、民主党代表=首相なのだから、もっと盛り上がっても良いはずなのに、メディアの関心も、市民の関心も薄い。誰がなっても期待できないという冷めた見方が支配的だからだ。これも、民主党、さらには野党である自民党や他の政党の現状を見る限り、当然の成り行きと言わざるを得ない。 民主党の政策にはさほど期待していなかったが、政権交代で民主政治が一歩前進すると期待した。しかし(少なくとも今までのところは)完全に期待はずれに終わった。寧ろ自民党長期政権時代は政権交代がない分、政治家は今よりは長期的な視野をもって物事を考え行動することができた。ところが、長年の夢であった政権交代が実現してみると、民主党、自民党共に、いつ政権から転落するか、いつ政権に復帰できるか、そのことばかりに気を取られるようになり、互いに、相手の揚げ足をとることばかりに汲々としている。そして市民に対しては甘い言葉を囁き続けている。景気後退の恐れが強まっているこの時期、増税には絶対反対だが、それでも遠からず増税を避けることはできない。一般市民の多くもそう感じている。ところが、そうは言っても、現実に増税という話しになると懐具合が悪くなるから市民の多数は反対に回る。こうして増税はタブーとなり、タブーを破った菅首相は参院選で大敗し短命で終わる原因を作った。しかし選挙民の支持を得るために金をばら撒き続けるような政治、増税を全く視野にいれない政治などでは早晩行き詰まる。当面増税を回避するが将来的には増税論議は避けられないことをしっかりと説明する必要がある。ところがその勇気と責任感を持つ政治家は見当たらない。代表選の候補者たちはこぞって平身低頭小沢詣でをしている。これでは誰がなろうと小沢の了解を取らない限り何もできない首相になることは必定だ。ならば党員資格停止を解除し小沢自らが代表=首相になった方がずっとすっきりする。 この先、どうなるのだろうか。来年には民主党の代表選がある。再来年には参院選と衆院選がある。この先も当分、毎年首相が交代するという異常事態が続く可能性が十分にある。日本社会は安定しているから毎年首相が交代しても大丈夫だという楽観論もあるが、いつまでもそうはいかない。菅の最後の粘りが示した通り、首相の権限は強く、その政策は日本の未来に大きな影響を及ぼす。これまで何とかなってきたのだからこれからも大丈夫だというのは、今まで大規模な事故がなかったから日本の原発は安全だという今となっては幻想に過ぎなかった思い込みと何ら変わるところはない。寧ろ必ず破綻するときがくると覚悟した方がよい。 混迷する政治の元凶は誰なのか。政治家なのか、官僚なのか、メディアなのか、市民なのか、答えを出すことは難しい。だが誰も無垢ではないことだけは間違いない。そして民主制国家においては、最終的な決定権は市民の手にある。勿論、代議制の下、市民の主権は選挙権だけに矮小化している。それはどこの国でも似たようなものなのだが、特に市民運動や左翼運動が壊滅的状況にある日本は程度が低いと言えよう。だから敢えて言いたい。日本政治混迷の最大の責任は主権者である市民自らにあると。市民が目覚めるときに初めて社会が変わる。政権交代だけでは何も起きない。寧ろ混迷の度が深まるだけであることがはっきりした。このことを肝に銘じておきたい。 了
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