☆ 科学技術は信頼できるか ☆

井出薫

 東北地方を中心に大震災が発生し多くの方が被災された。一日も早い被災地の復興並びに行方不明の方の無事を祈りたい。また、お亡くなりになった方の冥福を心からお祈りする。

 今回の震災に遭遇して強く感じたのは、科学技術は果たして本当に信頼できるのかという思いだ。勿論、甚大な被害を蒙ったとは言え、科学技術が進歩した現代だからこそ、被害をこの程度で食い止めることができたという意見もあろう。90年前の関東大震災当時だったら、倒壊家屋の数は言うまでもなく、被災者の数も1桁多かったかもしれない。

 とは言え無力感が漂うのは否めない。地震国日本は膨大な資金を投じて地震のメカニズムの解明と予測の研究に力を注いできた。それが一定の成果を収めていることは否定しない。しかしこれほどの巨大な地震ならば、かなり以前から何か予兆があったはずだ。地底を調査することは遠い惑星を調査することよりも難しい。それでも、たとえば「マグニチュード8を超える巨大地震が1ヶ月以内に三陸沖ないしその周辺で発生する可能性が高い」という程度の予測はできなかったのだろうか。無駄な努力に終わる可能性があるとは言え、事前に備えがあれば、被害を小さくすることができたはずだ。もし、こういう予測は至難の業ならば、地震研究よりも、震災に対する備えに資金を投じるべきだろう。震災以来、地震の専門家たちが地震のメカニズムや今後の見通しを話しているのを聞いても、今一つ、信用することができない。

 さらに決定的な事件が福島第一原発の事故だ。以前から福島第一原発の危険性は指摘されていた。しかし東京電力は安全性を強調し、政府も追認した。体制に批判的な学者を除けば、専門家たちも真剣に危険性を警告する者はいなかった。稀に見る巨大地震だったとは言え、原発の直下で起きた地震ではない。想像を絶した地震だったなどとは言わせない。地震で明らかになったことは、福島第一原発はそもそも稼働継続できる状態ではなかったと言うことだ。これを、東電や政府の責任にすることは容易い。事実、東電と歴代の政府関係者の責任は重い。だが、やはり、この事故も、科学技術とその申し子である科学者や技術者たちの言葉を過信した結果と思えてならない。実際、事故発生当時の原子力の専門家たちの予測は外れ、事故は拡大した。十分な情報が専門家たちの手許になかったのだから止むを得ない面が強いとは言え、専門家の意見を鵜呑みにできないことがはっきりした。

 自然は人間に試練を与えるが欺くことはない。正しく認識された自然法則は客観的なものと考えてよい。しかし、科学技術そのものはあくまでも人間の営みの一つであり、人間そのものと同程度にしか信頼できない。科学技術の進歩は人類に多大なる恩恵をもたらしたが、決して全幅の信頼を寄せるに値するものではない。科学技術を否定するのは愚かな結論だが、過信しないように肝に銘じる必要がある。


(H23/3/16記)


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