☆ 二つの難問 ☆

井出薫

 日本には二つのタブー視されてきた難問がある。一つは日米安保、一つは死刑制度。どちらも国民の支持は高い。だがいつまでもこのまま続けている訳にはいかない。

 民主党政権に交代してはっきりしたことがある。沖縄の米軍基地は日米安保が存続する限りなくならない。沖縄の基地は台湾の有事の際に米国にとってなくてはならない存在で、台頭する中国に圧力を掛ける役目を担っている。日米安保が現状のままでは、基地提供の義務がある日本は沖縄から米軍基地を撤退させることはできない。沖縄の負担解消を本気で求めるのであれば、安保解消も視野に入れて米国と交渉する必要がある。

 EUでは死刑廃止が加盟の絶対条件で、ロシアと韓国でも死刑制度は残るものの長く死刑執行がなされていない。米国と中国という二つの超大国に死刑制度が存続しているために日本に対する風当たりが緩和されているが、米国とも中国とも微妙な関係にある日本にとって、地理的に遠く政治経済分野でも両超大国ほど密接な関係にはないとは言え、両超大国を牽制するためにも、民主と人権の分野において最も進んだ地位を占めるEU諸国との友好関係強化は欠かせない。だが、そのためには死刑制度廃止を避けて通れない。

 日本人は殺人に対して極めて厳しく、殺人者に対して激しい怒りを覚える。ある意味、だからこそ死刑制度を支持する者が多いとも言える。しかし、そのことは裏を返せば、日本で死刑制度を廃止しても殺人が増加する危険性はないことを強く示唆する。死刑制度が殺人を抑止しているのではなく、日本人の正義感が殺人を抑止している。それゆえ死刑を擁護する理由は唯一、被害者や遺族の処罰感情に報いるという点だけになる。しかし死刑という制度で遺族の処罰感情に報いるという方法が最善だとは思えない。死刑を望む殺人被害者の遺族のほとんどは死刑という判決を得ることはできない。処罰感情を重視して死刑を存続させても得るところは少ない。寧ろ死刑を廃止して犯罪被害者の物心両面での社会的支援を強化することの方が有益だ。

 それゆえ死刑制度廃止は切っ掛けさえあれば実現することはさほど困難ではないと考える。とは言え、まだまだ壁は高い。一方、解消も視野に入れた日米安保体制の抜本的な改革は一筋縄ではいかない。憲法で日本は戦争を外交手段から排除した。だが交渉相手は、中国も、米国も、ロシアも、北朝鮮も外交手段としての戦争を放棄していない。その意味で日本は常に不利な立場にある。北方領土、尖閣諸島など領土問題で日本がある程度の力を行使できるのも日米安保で米国が背後に控えているからであることを認めない訳にはいかない。日米安保を解消すれば力のバランスは崩れ、中国もロシアもそして韓国も我が物顔で、尖閣、北方領土、竹島で力を誇示し、日本の主張を完全に無視することになろう。そして余計な争いに関わりたくない世界各国は日本の肩を持つことはなく、日本は打つ手がなくなる。そうなれば日本国内では軍事力増強、憲法第9条の見直しという機運が高まってくることが懸念される。実際、米国の脅威がありながらも、中国は日本の軍事力増強を警戒して日米安保を黙認しているとも言われる。だが軍事力強化と第9条見直しは東アジアの平和に暗い影を投げかけ日本の平和を却って脅かす。しかも巨額の財政赤字を背負う日本にとってロシアや中国のような超大国を相手にしての軍備増強は巨大な財政負担を意味し経済を疲弊させることは確実だ。

 それゆえ日米安保を解消すると同時に、近隣諸国に対して、対日交渉において威嚇や脅しを含め如何なる形であれ軍事的な手段を用いないことを約束させる必要がある。さもないと国内の保守派が危惧するとおり領土問題などで一方的な譲歩を迫られる可能性がある。だが近隣諸国に軍事的手段の放棄を確約させることは容易ではない。

 現状においては、日米安保は勿論のこと、死刑制度も簡単には解消できない。そうなると困難な課題に立ち向かうよりも、「臭い物に蓋をする」で逃げたくなる。日米安保においては沖縄県民の負担に、死刑制度においては誤審の可能性並びに(凶悪犯罪者と言えど)無抵抗の人間に死を与えることの残忍性に目を瞑り、現状を維持する。そういう安直な道を選びたくなる。だがそれは問題を先送りにするだけで、将来より大きな問題へと膨れ上がってしまう危険性を孕んでいる。

 世紀が変わってすでに10年。いつまでも目隠ししたままでいる訳にはいかない。2010年という年の終わりを迎えるに当たって、そのことを銘記しておきたい。


(H22/12/19記)


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