☆ 距離は死ぬことはない ☆

井出薫

 学者やジャーナリストはしばしばインターネットやモバイルなどITの普及で距離は死んだなどと言う。しかし通信事業の現場を見れば、それが錯覚であることがすぐに分かる。

 光速度は有限で国際通信では遅延が問題となる。たとえば日本とシンガポール間で直通海底ケーブルを経由すれば問題ないがケーブル故障で迂回経路を使うと遅延が大きくなりコンピュータ処理に支障を来すことがある。コンピュータ処理が高速大容量化したことでほんの0.1秒の遅延が処理に大きな影響を与える。国際通信の主役は言うまでもなく海底ケーブルだが、地震などで断線すると、近年のケーブル探索技術の進歩で以前は1ヶ月要した修理が2週間で完了するようになったとは言え、1日というオーダまで短縮することはできない。しかも荒天に見舞われると修理作業は中断せざるを得ない。世界は依然として広く海は深い。距離は死んでいないし、幾ら技術が進歩しても死ぬことはない。

 通信業界の競争激化で、大手通信事業者はコスト削減のために集中監視センターで全国のネットワークを一括して監視制御するようになっている。当然のことながら、その分無人局が増える。センターから遠隔制御で復旧する故障もあるが、現地で故障パッケージの交換や強制再起動をしないと復旧しない故障も少なくない。だが無人局だから別の場所から現地に出動しなくてはならない。特に夜間で荒天時は現地到着に時間を要し故障が長時間化する。そういう場合を想定して事業者は迂回経路を用意し、無人局故障の影響が極力小さくなるよう措置しているが100%救済できることは少ない。無人局を有人化すれば故障時間を短縮できるが、コストが見合わない。ここでも距離の壁が厳然として立ち塞がっている。

 携帯電話基地局は通信局舎設置の基地局を除くと無人局であり現地対応が必要な故障が起きるとすぐには復旧しない。ドコモ、au、ソフトバンクモバイルなど全国展開する携帯電話事業者では1日中全国複数個所で故障が発生し現地対応に追われている。基地局の多くは高い鉄塔に設置されており作業には危険が付き纏う。実際、高所作業で転落した作業員が死亡するという痛ましい事故が安全管理の徹底という掛け声にも拘わらず後を絶たない。

 鉄塔の頂上から地上まで数十メートル。僅かこの距離で尊い人命が失われてしまう。空調の利いた快適なオフィスでパソコンに向って仕事をしている能天気なインテリにとっては、ITの普及は「距離の死」を意味するかもしれない。しかし転落死した者の無念に思いを寄せるとき、「距離の死」などという言葉が如何に空疎か思い知る。距離は決して死ぬことはない。この現実をしっかりと見る目が求められている。


(H22/8/17記)


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