☆ 減らせば良いのではない ☆

井出薫

 民主党が参院の定数削減を公約に掲げるという。財政再建のために「まず隗より始めよ」のつもりらしいが、安易な議員数削減には反対だ。定数を削減しなくとも、議員一人当たりの手当てや政党助成金を減らすことで支出を抑制することができる。官僚主導から政治主導への取り組みはまだ成果らしい成果を挙げていないが一定の前進はある。その歩みを逆戻りさせないためにも議員数は減らすべきではない。さらに定数が減ることで共産党など少数政党の議席獲得が今以上に困難になる危険性もある。

 議員定数だけではない、猫も杓子も効率化と称して人員削減に走っている。グローバル経済での競争力強化のために人員削減は避けられないと企業は言う。確かに少子高齢化の日本では生産性の向上は不可欠で、人員削減に比例して新技術導入などにより業務効率化を進めて従業員の負担増を回避し、かつ、余剰人員を新たな事業で吸収できるのであれば、人員削減は必ずしも悪いことではない。しかし現実には要員削減で従業員の実質労働量は増加し、余剰人員の新事業への転換も進んでいない。これでは縮小再生産に陥ってしまう。

 人員削減を良いことだという風潮がこれに拍車を掛ける。議員や官僚の数の削減は当然だという声が多いが、その帰結を熟慮しての発言だとは思えない。少しは自分がリストラされたときのことを考えた方がよい。自分の仕事は無意味だったのか、残された要員で仕事がこなせるのか、新しい仕事を見つけ生活に支障がない給与を得られるのか、様々な不安と疑問が胸を過るはずだ。無駄な仕事が全くないとは言わないが、今の日本に、そんなに無駄な仕事が溢れている訳はない。一見無駄に見える仕事でも、企業活動に、行政に、社会に少なからず貢献している。だから安易に人を減らすべきではなく、仕事の遣り方を見直しながら要員の配置転換をしないといけない。

 国家も地方も財政状況は甚だ悪い。日本企業の国際競争力は低下している。だが、だからこそ寧ろ安易に人員削減をするべきではないのだ。なぜなら、それは社会から活力を失わせ、改革を不可能にするからだ。カントに倣い人間は目的であり手段ではないなどと言っても問題が解決しないことはよく分かっているが、陳腐化した機械を除却するように人員を削減することはできないし、するべきでもない。この当り前のことをもう一度思い起こし、ただ人員削減をすれば良いかの如き考えを改める必要がある。


(H22/5/16記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.