☆ 裁判員制度 ☆


 裁判員制度が始まった。ひとりで裁くわけではない、被告が判決に不服なら上告することもできる。裁判員に選ばれたとしても、殊更深刻にならなくてもよい。とは言え「では、君が遣ってくれ」と言われたら、さぞかし気が重くなるに違いない。縁もゆかりもない者を裁くのは気が引けるし、何より正しい判決を下す自信がない。

 有罪か無罪かだけを裁判員が決め、量刑は裁判官が決めたらどうかという意見がある。死刑判決が重いということなのだが、おそらく逆だろう。量刑は法や判例に基準があり、素人でも比較的容易に妥当な線を決定できる。

 難しいのは、被告が罪状を否認し、状況証拠しかない場合の有罪、無罪の判断だ。これは裁判官でも難しく、一般市民には大変な重圧になる。正しい判断を下すには、取り調べを傍聴するなり、個別に被告と面会するなどしないと難しいが、現行法では認められていない。さらに責任能力が争われる事件では経験がないと妥当な判断は困難だ。要するに、量刑を決めることよりも有罪、無罪の判断がむしろ難しい。だが、この判断ができないとなると量刑どころではない。

 こういう問題を考慮すると、裁判員制度の導入は時期尚早、環境が整っていないという意見が説得力を増す。それでも日本にとって裁判員制度導入は有益に思える。日本では死刑存続を支持する意見が多数を占める。しかし死刑制度を支持する一方で、自分が被告に死刑を宣告することは嫌だと言うのはいささか身勝手と言わなくてはならない。裁判官とて死刑宣告は嫌だし、絶対の自信があって宣告するわけではない。裁判員制度は、一般市民がそのことに気づく機会を与える。もちろんこれは裁判員制度の本来の目的ではなく副次的な効果に過ぎない。しかし、市民が裁判に参加することで、他にも現行法や法運用、法に対する市民の意識に潜む多くの矛盾や欠陥に市民が気付く機会が格段に広がる。立法、行政だけではなく司法にも市民が参加するようになって初めて本当の民主制が実現される。数多の問題があるとは言え、裁判員制度を前向きに捉えたい。


(H21/5/24記)


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