☆ 実りある憲法論議を ☆


 憲法記念日を迎えて、例年通り各地で護憲集会と改憲集会が開催された。だが市民の関心は薄い。久しぶりに昼食を共にした従兄弟は憲法記念日であることすら忘れていた。おそらくそういう人は少なくないだろう。

 護憲、改憲論議は専ら第9条を巡って行われてきた。第9条が日本国憲法の特徴であり極めて重要な条項であるのは事実だ。しかし、憲法は最高法規であり、国防や外交に関わることだけではなく、日本社会の全てに関わりを持っており、議論すべきは第9条だけではない。ところが政治的な意図から憲法論議が第9条に矮小化され、人々の憲法に対する関心が薄れているのは誠に遺憾だと言わなくてはならない。左翼陣営はおおむね護憲を主張するが、真の共産主義者ならば財産権を神聖不可侵とする現行憲法は改訂の必要があると考えているはずで、護憲は暫定的な政治戦略でしかない。その一方で、現行憲法下で最も利益を得てきた自民党のタカ派や保守派言論・報道が空疎な観念論で改憲を叫んでいる。いずれの陣営も国内外の切実な要求を無視して、議論のための議論をしているに過ぎない。

 筆者は、第9条は堅持すべきだが、改正すべき条項が現行憲法には少なくないと考えている。しばしば話題にのぼる環境権やプライバシーなど新しい権利、一部の左翼が主張する財産権の制限などがその一例だが、特に真摯に改正を検討すべきは第8章「地方自治」の条項だと考えている。

 地方分権が叫ばれて久しい。ところが少しも進展をみない。収入は国6に地方4、支出は国4に地方6という歪んだ構造が少しも改められない。これを専らエリート官僚の抵抗の所為にするのはお門違いで、その根本原因は憲法が地方自治の重要性を十分に表現していないことにある。実際、第8章の各条項(第92条から95条)は素っ気ないもので、地方分権の土台にはならない。

 直接民主制が実現不可能なことは分かっている。しかし可能な限り市民が積極的に政治参加することが民主と人権を維持し促進するために欠かせない。だが国家という単位は一般市民が参加するには余りにも巨大すぎる。しかも扱う案件が外交や国防、国家全体の経済に関わる事項ともなると、一般市民が積極的に意見を述べ、関与することは容易ではない。だが都道府県、市町村と規模が小さくなるに連れて、市民が政治参加する余地が大きくなり、しかもそれが政治改革に直結する。日本人はお上意識が相変わらず強いと言われ、その通りだと思うが、その改革のためには市町村という単位から市民の政治参加を促すことが最善策だ。しかし、そのためにはまず地方分権を進め、市民の地方政治への参加が日本全体の公益に繋がる仕組み作りが欠かせない。さもないと政治という厄介な仕事に関与しようという奇特な市民は増えない。だからこそ、それを憲法で保障する必要がある。

 ここで述べた意見に自信があるわけではない。専門家からは、政治や法律の素人の的外れな議論と指摘されるかもしれない。だが憲法問題が第9条だけではないことは間違いない。そのことを空疎な議論だけが喧しく聞こえてくる憲法記念日の今日、再確認しておきたい。


(H21/5/3記)


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